東学大の理科教育学教室-創生期の苦しみ
東学大の理科教育学教室-創生期の苦しみ 東学大の理科教育学教室は,現在では教科教育学を教育・研究する分野の一翼として学内ですっかり定着しているが,発足当初は生みの苦しみがあったと思う。 私が学芸大の物理学助手に採用(1969)されて数年後のことであったと思うが,第三部(現在の自然科学系)に理科教育教室が設置する動きがでてきた。発足当維の状況は,はっきりとは覚えていないが,いろいろなご苦労があったことは確かだ。なお,教室の名称は,以後数回揺れ動いた。最初は理科教育教室だったが,後に理科教育学教室になった。 後藤捨男先生が物理学教室の主任か部長職にお着きで,私が助手の頃に,こうした動きがでてきたと思う。後藤捨男先生と生物学教室主任の古谷庫三先生が,設置について頻繁に相談されていたのを覚えている。 理科教育教室の発足当初は,2,3...