シミュレーション物理学6 「カオスカ学入門-古典力学からカオス力学へ-」,
近代科学社, 下條隆嗣著,近代科学社,1992.
若いころ,プラズマの研究のなかで,カオスに気づいて少しずつ勉強して書いた本である。初版から今年までにすでに28年たっているが,いまだに販売されているようでうれしい。初版の出版当時,大きな書店には,この本が何冊も積まれていたことを覚えている。また,友人の教えてくれたところによると,この本の書評が3つでていたとのことである。私は残念ながら一つも見ていない。
一時期,レーザーや荷電粒子ビームによってプラズマ中に生起するラングミュアー波(縦波)の3波相互作用の研究をしていた。波のcorrelationが,入射荷電粒子に対する阻止能に影響することを示した研究成果は,イタリアの物理学会誌に投稿した【参考論文(1)】のであるが,これとは別に,ハミルトニアンから直接,3波のエネルギーの時間変化の変動がどのようなものかを数値計算でみてみた。3派系の全エネルギーは保存する。各波は他波と非線形相互作用を含む方程式に従う。数値計算の結果,ある波の変数の初期値をほんの僅か変えると,その波の変数の時間変化は全く異なること,すなわち,方程式に従うにも関わらず,波の変数は初期値に対して鋭敏に依存することに気づいた【参考論文 (2), (3), (4)】。このことから,次第にカオスに興味がわいてきた(。
私は,カオスについて深く永く研究する時間的余裕は無かったが,カオスは教育上,力学分野で無視することができない非線形現象の分野と考え,やはり物理系の大学生が学ぶべき内容と思っていたので,シミュレーション物理学の出版の相談があったとき,迷わずカオス力学の執筆を請け負った。なぜかといえば,カオス力学は,相対性理論,量子論と並ぶ大きな領域と考えられるからである(「カオス力学入門」のなかの『5.カオス力学の歴史』を参照されたい)。それで執筆を引き受けさせて頂いた。この本も,執筆が遅れて,出版社から原稿を幾度も催促された。
この本の図版はほとんど全てBASIC98でプログラムをつくり,それによって得た図を本に掲載した。図を作るために使ったシミュレーション・プログラムやそのパラメータも掲載した。このことが,読者に評価されているのでないかと思う。
シミュレーション・プログラムのソフトはBASIC98で書いた。当時,私はプラズマとレーザーや荷電粒子ビームとの相互作用の研究で,科学技術用のソフトFORTRANをよく使っていたが,BASIC98はそれによく似ていて,しかも当時最も簡単と思われていたソフトである。
この本が出版されて1年ほどたったある時,電車のホームで,どこかの大学の研究者らしき人物が数名,「カオスは物理でないよね」と話しているのが聞こえた。確かに当時はカオスという用語もなく,論文ではcomplex behavior とかstochastic behavior などの用語が使われていたと思う。しかし,欧米では,あれよあれよという間に論文集も発行され,カオスの学術雑誌も発行され,国際会議も頻繁に行われるようになっていた。日本は少し意識が遅れているのではないかと思った。
何年か前に,ネットで,大手の家電メーカーが,電子レンジで,食物を全体的に温められるようにするためにマイクロ波を反射によってレンジの内部全体に行き渡るようにしたいが,そのためにレンジの形を真四角から少しゆがめるという特許をとったという話を知った。この特許は,参考文献として,この私の本が参照されていた。この本の中で取り上げたプログラムにビリヤードがある。ビリヤードは,カオスの中で一つの大きなジャンルを占め,Berryによる研究成果が大きい。私はポアンカレのカタストロフィを見るため,四角い箱の底の四隅を少し持ち上げ,その中をビリヤード球が動き回るプログラムを作った。この場合のビリヤード球の動きは,底面が完全に平坦な場合に比べて,底面により広く広がる(本書 3.8 ポアンカレのカタストロフィ-ビリヤード)。この特許はビリヤードのプログラムを参考にされたのだと思う。ビリヤード球を指向性の強い短波長マイクロ波に置き換えて考えたのであろう。「このような応用があるのだなあ」と面白く思ったことを覚えている。
【参考論文】
(1) T. Shimojo and T. Saito, Linear-Response Theory for an Impinged Charged Particle in Turbulent Plasma, IL NUOVO CIMENTO 56B, N.1, 72-86, (1980)
(2) 下條隆嗣・蓮見信夫・山本健: ラングミュアー波の強い乱れ(Ⅰ)-計算機実験-,東京学芸大学紀要 第4部門 数学・自然科学 第33集,33-36, (1981).
(3) 下條隆嗣・穐山寛: 強いラングミュアー乱れ-カオスの発言と乱れの開始機構-,東京学芸大学紀要 第4部門 数学・自然科学 第38集,145-166, (1986).
(4) T. Okada, M. Nobuta, T. Shimojo: A route to chaos in a conservative system of three interacting Langmur waves, Chaos, Solitons and Fractals, 11, 581-605 (2000).
2020年2月記