「プラズマ物理学の基礎」
V.E.ゴラント,A.P.ジリンスキー,I.E.サハロフ著,下條隆嗣・田井正博(共訳),現代工学社,1986.
本訳書の出版が企画された当時, ロシア(旧ソ連邦)では,プラズマ物理学の研究が大きな進展を見せていた。磁場閉じ込め方式の核融合実験炉トカマクは当時世界の最先端であったし,理論面でもLeontovich の編集になる“Reviews of Plasma Physics”というシリーズものの著作や,Kadomtsev の“Plasma Turbulence”などの本が次々に刊行されていた。これらは,次々にロシア語から英訳されていた。
ゴラントらの表題の原著は,プラズマ中の波動に着目して書かれたKadomtsev の本とは対照的に,プラズマ中の粒子衝突を前面に出したロシア語の本である。「プラズマ物理学の基礎」は,このロシア語の本の翻訳である。私が出版社から要請された仕事は,ロシア語翻訳家の田井氏がロシア語の原典から訳した訳文を,私が物理的な意味が通るように徹底的に推敲する役割だった。
計画から数年経過しており,素訳もかなり進捗し,素訳原稿が私のところに届き始め,私も推敲に着手していたが,忙しくてなかなかはかどらない。その頃は,休日しか推敲時間がとれず,その休日さえも毎週というわけにはゆかなかった。このように作業は遅々とし進んでいなかった。ロシア側からは,原著者から日本の出版社に「日本語訳の出版はまだか」と催促もきていたので,私はあせっていた。日本の出版社からも推敲を急ぐように言われていた。
そうこうしているうちに,私は文部省からの要請で,ユネスコの仕事(コロンボ・プラン)である「タイ国理科教育改善事業」の派遣専門家としてタイ国に1年間の派遣がきまった。タイへ赴任後は,日本との連絡が不自由で,田井氏とコミュニケーションがすぐに取りづらいので,推敲がもっと遅れてしまうのではと危惧した。当時は今のようにインターネットもなく,FAXも普及しておらず,国際電話も高額でままならないし,その設備もない赴任先だったからである。手紙だけしか通信手段がないため,これでは,推敲作業は大幅に遅れ,出版は完成できなくなってしまうかもしれないと心配になった。
タイ国へ赴任する少し前,研究室の書籍を片づけていたが,その中に数冊のプラズマ関係の洋書があった。洋書は,洋書屋さんがときどき研究室へ新しく出版された本をもってきてくれて,「お時間のあるときに見ておいてください」と置いてゆき,気にいった本があれば,数週間後の次回の来訪のときに購入をきめる。それで,多忙でそのまま置きはなしであったのだ。
ところが,片づけの最中,たまたまプラズマ関係で洋書屋さんが置いてゆかれた数冊の洋書のなかに,著者がゴラントやサハロフの名前の本があるのに気づいて,「アレ」と思った。この本が,原著の英語翻訳であったのだ。もちろん,すぐ購入手続きをとった。この洋書は研究費で購入したものなので定年時に学大に返却しており,正式な書名や出版社はもう忘れてしまったが,確かFundamentals of Plasma Physics であったと思う。出版社は米国の会社であったと思う。しかし,まさか,翻訳を依頼された本の英語訳本(米国)を入手していたとは,偶然とは恐ろしいものだ。この本はタイ国へ持参し,ロシア語からの素訳で意味が通りにくいところは,田井氏と相談する代わりに,ときどきこの本を直接参照することができ,推敲作業の進捗に役立った。もちろん,ロシア語の原著からの翻訳の「味」は保たれていると思う。
余談であるが,米国では,ロシアの著名な学術書は国家をあげて迅速に翻訳するという話をどなたかからか伺った。この本の翻訳も,米国の方が日本より早かったことになる。さすが科学技術大国の米国である。
洋書屋さんが,この英訳本を持ってきてくれるタイミングがもう少しずれていたら,タイに持って行けず,推敲作業はさらに1年以上遅れていて,翻訳はどうなっていたかわからない。しかし,この推敲作業の進展にもっとも効果的だったのは,なんといっても,このタイ国派遣で生まれた時間だった。タイ国で,昼間の仕事が終わったあと,ほとんど毎日,夜8時ころから10時から11時ころまで,大体2,3時間ずつ,推敲作業に半年以上取り組んだ。日本にいたらとてもこうした時間は取れなかったと思う。
タイ国では日本からの素訳原稿が途中で紛失して日本から再送付して頂いたり,いろいろなことがあったが,帰国時までになんとか仕上げることができた。この訳書の完成は,タイ国赴任となんと関連していたことかと思う。
推敲した原稿は修正で真っ赤になったので,印刷所が間違えないように,田井氏側で清書しなおしたという。なお,理工書の場合,数式のミスは致命的であるが,田井氏が文字通り,一文字ずつ,原稿の全数式についてミスがないか確認した。
本訳書は,田井氏のような翻訳家や現代工学社の故林勝平社長のような学術や文化を支える方々がおられたから生まれた1冊であると思う。
(後日,本文を読み終えた田井氏より,「下條先生とのこの翻訳活動のおかげで今の自分がある」との感想を頂いた)
2020年1月記