慢性腎臓病闘病記【1】-高血圧治療から透析生活に至るまでの10年

<2020.02.28記> 

1-1.高血圧から慢性腎臓病へ, 1-2.慢性腎臓病の症状と当時の体調, 1-3.検査と治療, 1-4.血圧管理と食事療法の10年, 1-5.私の体調管理法-パソコンの活用, 1-6.食品の成分調べ,1-7.玉ネギ酢とサプリ, 1-8.運動-メタボ予防運動と長距離散歩・低山ハイキング, 1-9.腎機能の「緩慢な悪化モード」から「急速悪化モード」への転換-低蛋白・低塩分食に耐えた2年間, 1-10.途中で挫折した生体腎移植,1-11.シャントの設置と透析導入基準,1-12.障害者申請と人工透析の経費,1-13.倒れてハイケア・ユニットへ-総合病院での透析開始

1-1.  高血圧から慢性腎臓病へ

まず,私がどうして慢性腎臓病になってしまったのか,反省をこめて記しておきたい。慢性腎臓病には,糖尿病性腎不全や高血圧性腎不全などいくつかのタイプがあるが,私の場合は高血圧性腎不全である。慢性腎臓病の原因は,私の場合,高血圧の管理が不十分であったことであると思う。高血圧症になった原因としては,体質的(塩分に敏感),遺伝的(親が高血圧)な面もあったと思うが,生活習慣による面も多分にあったと思う。

私は大学に勤務していたが,多忙で毎日夜10時過ぎまで仕事をする日が多かった。若い頃(独身時)は,帰宅時には夕食をつくる元気も無くなっているので,夕食はいつも外食であったが,その時間帯では,ほとんど飲み屋さんしか空いておらず,そこで夕食を取ることになるが,ついでに酒も少し飲んでしまうことになった。そうした外食だと「串カツ」など脂っこい物を摂ることが多く,野菜不足となり,塩分が多くで栄養バランスは悪かった。このような生活を長く続けていたので,次第に血圧が高くなっていったのだと思う。これが腎臓に悪影響を及ぼしたらしい。慢性腎臓病は生活習慣病とも呼ばれるが,まさにその通りだと思う。

在職中の中年から晩年にかけては,仕事量もどんどん増え,また次第に責任も重くなり,元気をだそうとよく食べた。また,夜遅く疲れて帰宅すると,ストレス発散のためにお酒を飲んで,バタンと寝てしまうことも多かった。この食べ過ぎや飲みすぎがよくなかった。どんどん太って,BMIが28くらいのメタボ体質になってしまった。塩分にも気を配ることはなかった。メタボ体質も,もちろん血圧を高めてよくない。定年後は,メタボ体質脱却が慢性腎臓病の保存期治療の一つの目標にもなった。

そして,40歳台であったと思うが,職場の健康診断でついに高血圧と指摘された(若年性高血圧)。しかも,尿蛋白が少しずつでるようになり,以後,職場近くの医院に通院して高血圧治療を継続した。

55歳頃であったか,自宅近くの医院で血圧管理をお願いしていたが,蛋白尿が継続的に出たり,時たま痛風が出るに及んで,慢性腎臓病の疑いが濃くなり,専門医にみて頂いた方が良いということになり,2001年に都立府中病院の腎臓内科を紹介されて,毎月1回のペースで通うようになった。58歳の頃である。その頃には,だるさ,頻尿 頭がボーツとするなどの症状も出てきた。

都立府中病院では,担当医師は,2人の先生にしばらく見て頂いたのち,西尾康英先生がご担当になった。その後,西尾先生には10年間にわたりお世話になった。この間,都立府中病院は都立多摩総合医療センターに改名され(以後,この名称をつかう),建物も新しくなった(2009年9月竣工)。この病院は,府中市の黒鐘(くろがね)公園の林に隣接した環境の良い場所にある大きな総合病院である。

1-2. 慢性腎臓病の症状と当時の体調
西尾先生によると,慢性腎臓病による尿毒症の症状としては,
①心不全(浮腫,息切れ,呼吸困難)
②高カリウム血症(K>7),不整脈
③貧血(疲労感,倦怠感,息切れ)
④食欲不振,不眠
などがあるという。浮腫は,体に水分がたまることからくるもので,尿量の減少が伴っている。
私の場合,全身倦怠感,むくみ,かゆみ,手足の痙攣,息苦しさ,頭痛が見られた。なかでも全身倦怠感は終日起こる。一般には,食欲不振,吐き気,めまいなども見られるらしいが,これらの症状はあまり出なかった。私の場合,他に電解質異常,代謝性アシドーシス,皮膚への色素沈着で色黒になることもあったと思う。代謝性アシドーシスは,体内で酸が過剰になって血液がより酸性に傾き,それが腎臓にも負担となり,心臓の異常にもつながるらしい。また,慢性腎臓病の場合,尿には蛋白質が漏れ出るので,尿は泡が立つ。コーラのような真茶色の尿が1,2度続けてでたこともあった。おそらく血尿だったと思う(腎臓を構成するネフローゼが壊れたのであろうか?)。

当初は,だるさはあったが,まだクレアチニンはさほど高くなく1.5位であった(次第に高くなっていったが。基準値は0.62~1.04mg/dL)。高血圧の治療をずっと続けた。

2008年の定年の数年前は,太って夜中に何度も呼吸がとまる無呼吸症候群になっていたようだ。丁度,附属中学校の学校長を仰せつかっていた他に,多くの仕事で最も多忙なころだ。この頃,朝,布団の中で目覚めると,自分が生きているのか死んでいるのかわからない感覚に捉われることもままあった。疲労が蓄積していたのだろう。また,慢性腎臓病とは無関係と思われるが,花粉症や喘息にも悩まされていた。
ある日,中学校から夜遅く帰宅した。雨が降っていたので,駅まで車の迎えがあったが,自宅前で車を降りたとたん,突然両目の中でバシッバシッと星が飛んだ。大きな流れ星のようだった。翌朝,両目に蚊がたくさん飛んでいるような黒い影がみえた。眼科医の診断は飛蚊症であった。少しずつよくなってきたが,十数年経過しても,いまだに両目に蚊のような影が残っている。
これからしばらくして,2013年3月1日,丁度70歳になる少し前の日,痛みは無かったが,左目の異常に気付いた。駅のホームにいるとき,向側のホームの壁の宣伝が黒い雲のようなもので覆われて見えなくなった。特に上半分が見えない。眼科医の診断は網膜静脈閉塞症による眼底出血であった。これは眼の血管の動脈硬化によるといわれ,高血圧の影響が体のあちこちに出ていると思われた。後に,眼底出血は慢性腎臓病患者がよく患う病と知った。レーザー照射で出血部分を焼く治療を1週間に続けて2回受けた。出血の位置がもう少しずれていたら,左目は失明したという。一月余りであったと思うが,黒雲は取れたが後遺症が残り,7年たった今(2020年)でも,左目の上半分はよく見えない。
下で述べるが,多摩総合医療センターの西尾先生にお世話になってから約8年目の2016年12月頃から私の腎臓は「急速悪化モード」に陥って,体調は一層ひどくなった。そして,ついに2018年3月から透析生活に入ることになった。その実態は,このブログの続き「慢性腎臓病闘病記(2)-人工透析生活の実際」で述べる。

1-3. 検査と治療
多摩総合医療センターには,毎回,血液検査と畜尿や早朝尿を持参して尿の検査を受けた。治療は,血圧を下げ,尿の排出を促進する投薬治療を受けた。降圧剤は,数種類飲んでいた。時々,低蛋白食の食事療法の指導も受けた。また,腎臓の血流が悪いらしく,血管の硬さ(動脈硬化)や腎動脈が正常であるか調べてもらったこともある。
畜尿は,診察日の前日朝から当日朝までの24時間の尿をためる。それを病院から渡される小さな試験管に分けて持参する。貯めた尿を暖かい所で保存しておくと,尿が変性(糖化)して正確に分析できなくなるということで,これを防ぐために病院から発泡スチロールでできた大きめの断熱箱を頂いた。夏場はこれに保冷剤を入れて冷やす。この「畜尿」と共に,別に当日の朝一番に採尿した「早朝尿」も持参する。これも,病院に到着してから採尿するのでは,朝食の影響などがでてしまうので,起床後すぐ尿を採る。尿検査では,尿中の蛋白質や尿素窒素を調べる。これらから,1日に摂取したタンパク量や塩分量がわかるらしい。
血液検査は,さまざまな検査項目があったが,特にクレアチニンという物質の価に着目する。この逆数の変化をみてゆくと,慢性腎臓病の進行状況がわかる(後で実例を示す)。
血液と尿の検査から,腎機能の悪化の進み具合が推定できる3つの量がある。それらは,血清クレアチニン,クレアチニン・クリアランス,e-GFR(推算糸球体濾過量)である。
クレアチニンCrは,筋肉でつくられる老廃物の一つで,健常者では腎臓の糸球体(微細な血管の固まりみたいなもの)から排泄される。慢性腎臓病患者の場合には,値が次第に増加する。クレアチニンの逆数(1/Cr)は,腎機能の悪化の進み具合を知るのに重宝な指標で,いつごろ透析が必要になるかがわかる。
クレアチニン・クリアランスCCrは,腎臓が血清中のクレアチニンを排泄する能力のことで,血清や尿のクレアチニン濃度と尿量から計算して求められる。慢性腎臓病患者の場合には次第に減少してゆく。
e-GFRは腎臓の糸球体が血清クレアチニンなどの老廃物を一定時間内に尿中へどのくらい排泄できるかというろ過機能を表すもので,血清クレアチニンから計算で求められる。年齢とともにこの機能は落ちてゆく。
私は西尾先生からこれらの値や血液検査結果を毎回頂き,グラフをつくって様子をみてきた。これらの指標の変化の具体的なグラフは,下に示す。

1-4. 血圧管理と食事療法の10年
都立多摩総合医療センターの腎臓内科の西尾康英先生にみてもらうようになってから,西尾先生のご指導で,食事管理(低蛋白食のすすめ)の大切さを次第に理解するようになった。当センターで,栄養指導室で栄養士さんから栄養指導を何回も受けた。それを受ける際には,前日に食べた食品を成分と共に記録してしたものを提出するのであるが,初めの頃は,なかなかそれができず,栄養士さんに怒られた事を覚えている。次第に栄養について自分で学ぶようになった。
都立多摩総合医療センターでは,年2回,春と秋に西尾先生主催の腎臓病講演会が開催されていた。そこに何度も参加した。西尾先生のお話では,何人かの患者さんが,低蛋白食の食事療法の結果,クレアチニンの値の増加(慢性腎臓病の悪化)が穏やかになる例をグラフで表示して見せて頂いて勇気づけられた。
このことから,自分でも食事管理として,血圧やタンパク量,塩分,熱量の記録を取るようになった。以下,タンパク質はP,塩分はS,熱量はCで略記する。これらの記録は,パソコンで表やグラフにして処理し,それらに基づいて食事を管理するようになった。
食事は慢性腎臓病患者用のいわゆる「透析食」といわれているものにしなければならず,低蛋白および低塩分を基本とする。私の場合(体重60k前後),1日当たりの蛋白は30g(体重1kg当り0.5g),塩分6g/日以下,カロリーは1600Kcalを指示された。これを守るのはかなり困難であった。健常な人は蛋白が60g以上,塩分は12g~13g(基準値は8g程度),熱量は2200Kcal程度とっていると考えられるので,これはかなりきつい制限であった。私の場合,日曜日などは昼食・夕食ともに外食が多いが,このような場合は1日に18g~19gくらいの塩分をとってしまうことも多い。これは普段の1.5倍くらいだ。栄養士さんから伺った話であるが,ある患者の方は,低蛋白ごはんを食べ減塩にも努めていたが,ついに我慢ができなくなって,ごはんに塩を振りかけて食べてしまったそうである。このように,減塩はきついものである。なお,別稿〔慢性腎臓病闘病記(2)〕で述べるが,透析生活に入ってからはP:40,S:6,C:1800が基準となっている。

食事では,低蛋白ごはんや腎臓病の人のための食品や宅配弁当を利用した。しかし味が単調で飽きがきてつらい。新鮮なものが食べたくなる。タンパク質を制限していたせいで,食べ物のおいしさは,結局,含まれるタンパク量(アミノ酸)によるのだと実感するようになった。
投薬治療を受けていたが,血圧はなかなか下がらなかった。医師から痩せる必要があるといわれた。また,食事改善のため,「教育入院」も薦められた。この「教育入院」には参加しなかったが,透析食を病院で体験して退院後にそれを習慣化するものであるらしい。

1-5. 私の体調管理法-パソコンの活用
当初,多摩総合医療センターの栄養士さんから食事内容を記録してくるように言われ,「食事記録表」用紙を頂いた。この「食事記録表」には,区分(朝食・昼食・間食・夕食別),料理名,食品名,目安量,グラム,表〔表1(穀類),表2(果物・芋類),表3(野菜),表4(魚肉・卵・豆),表5(砂糖・澱粉),表6(油脂)〕,低蛋白の主食,治療用特殊食品,塩分などの欄があった。また所見欄もあった。この記入は私にはとても面倒でできないし時間もかかる。結局うまくできなくて栄養士さんに怒られた。そこで,食事内容をもっとざっくりと,朝食・昼食・間食・夕食別に,PSCを計算したり,本で見たりして記入する自分なりの表を作ることにした。
幸い,定年退職を過ぎて,分きざみの生活から解放され,時間は十分にあるようになったので,体調を徹底的に自己管理することにした。記録付けが長続きするように,毎日体調についてとった記録を,パソコンを活用し,EXCELやWORDなどのソフトを利用してデータを管理することにした。
記録は,血圧,体重,食事内容,尿量,飲水量などである。こうした毎日のデータを元に,週間,月間,季節間の推移をグラフ化して,健康維持の参考に供したが,以下にもう少し詳しく述べる。
体調管理のための毎日の行動は,起きたてに体重を測定,起床から20分過ぎに早朝血圧と体温の測定,シャント音の確認(透析生活に入った後),日中に数回血圧を測定,就寝直前に体重を測定する。また,毎朝,前日に食した食品のPSCの値を計算し,前日の飲水量と尿量を記録する。
まず,毎日のデータを記録するために,A4用紙を4つ切りにした大きさのカードを作っておく。パソコンで作って,足りなくなるとまとめて印刷した。カードはいろいろな種類をつくる。カードは色別にすると便利である。
体重をはかる体重計はできるだけ精度のよいものがよい。私は5gまで測れる体重計を使用している。衣類の重さは,台所にあるはかりで測れる。
・体重カード
起床時には,起床時刻,体重とその測定時刻を記録する。時々,体脂肪,体水分,筋肉量,骨量,基礎代謝,内臓脂肪,腹囲などの体組成を記録する(体重計に体組成の測定機能がついている)。就寝時には,測定時刻と体重を記録する。また,カレンダーに起床時の体重を記録している。こうすることで,前週の同じ曜日と比較して体重が増えているのか減っているのか,また,このブログの続き「慢性腎臓病闘病記(2)-人工透析生活の実際」で述べるが,透析開始後は当日の透析が4時間か4時間半になるのかなどの見当がつく。

・血圧カード
このカードには,日付,起床時刻と,血圧上(収縮期血圧),血圧下(拡張期血圧),脈拍,測定時刻を記録する。これらは,1日の間に早朝(起き立て20分後),朝(午前7:00),正午(自宅にいるとき),夕(午後7:00),その他,数回測定する。朝・昼・夕の定時(+-30分程度内)の測定を忘れることも多い。この場合は,他の時刻における測定値から定時の血圧値を内挿して推定することもある。
血圧の測定では,カフを腕に巻く血圧計よりも精度はやや落ちるらしいが,手首にカフを巻くタイプの血圧計が簡便で良い。旅行時もこの血圧計を持参する。旅行中は,ホテルなどの食事はおいしいのでどうしても沢山食べるし,ビールも飲みたくなるので,摂取する水分量,蛋白,塩分のいずれも多くなる(水分は,飲水量のみならず,食品に含まれる水分も考慮しなければならない)。その結果,体重が増え,血圧が上がる。

・毎血表
毎日の血圧と測定時刻を1ヶ月分記録する。毎日,「血圧カード」から転記して追記してゆく。日付と曜日,1日分の測定時刻,収縮期血圧(上の血圧),拡張期血圧(下の血圧),脈拍のデータを転記する。これらから,脈圧(=上の血圧-下の血圧)も求めている。脈圧は,動脈硬化の程度を示す指標として利用している。この毎血表の一番下には,これらの値の平均値を記入する欄になっている。
この「毎血表」から,パソコンを活用して,さらに平均血圧,早朝血圧,血圧日内変動についての表やグラフをつくる。グラフはEXCELのグラフ作成機能を利用すればすぐにできる。

平均血圧については,西尾先生から,
平均血圧=(収縮期血圧+2×拡張期血圧)/3
であると教えて頂いたが,拡張期血圧や収縮期血圧は時々刻々と変わるので,1日の平均血圧を考えるとき,瞬間的な平均血圧のまたその平均を求めることになる。これはややこしいので,1日の平均血圧としては,拡張期血圧や収縮期血圧の両者とも,何回か測定する値の算術平均(普通の平均)で代用している。

・平血表と平血グラフ
「平血表」には,上に述べた「毎血表」から,血圧の最高値と最低値として,収縮期の最高血圧と最低血圧,拡張期の最高血圧と最低血圧を記入する。また,血圧の平均値として,収縮期の血圧の日平均,拡張期の血圧の日平均,これら2者のさらなる平均値,脈拍平均,脈圧平均を表に記入する。この表から,EXCELを利用して,これらの平均血圧をグラフ化した「平血グラフ」をつくる。

・朝血表・朝血グラフ
「毎血表」から起床後20分過ぎ後の朝1番に計る早朝血圧(上の血圧,下の血圧,脈拍,脈圧)を,「朝血表」に転記する。4ケ月分まとめて表示する。これから,EXCELで,4ケ月間の早朝血圧の変化をグラフにするが,これが「朝血グラフ」である。

・日内血圧変化グラフ
「毎血表」のデータから,1日の血圧の変化のグラフをEXCELでつくり,WORDを開いてA4用紙1枚にグラフを3日分ずつ記す。
血圧は,ちょっとしたことでも変動するので,このグラフをつくることは,あまり意味がないが,趣味として作っている。このグラフは,無くても困らないが,つくれば直観的にいろいろなことがわかる。例えば,血圧が200を超えるときがあるが,これが,一時的なものか,長時間続いているものかなどを,直感的に判断できる。早朝高血圧が日中も続いているかなどもチェックできる。また1日のうちで血圧はいつ頃高いかなどがわかる。筆者の場合は,早朝高血圧や血圧サージの傾向があり,脳溢血が怖いので,脈圧=最高血圧-最低血圧も計算して,注意している。また,透析生活に入ってからは,血液透析を実施すると,血圧がガクッと下がることもわかる。。

これらの血圧表は,グラフで血圧の日ごとの推移をみて,それによって,降圧剤の量や食事の量や質を変えるなど体調管理に用いる。
血圧が上がってくると,その原因を考えたり,食事内容を反省したり(塩分過多,蛋白過多,飲水量過多など)する。水分を多く取った日の翌朝,血圧の上昇が酷く早朝血圧は上が180台になる。(顔もむくむ)。水分摂取を押さえるように自覚できる。
また,血圧が下がってくると,冬に足が冷えて眠れないことも減ってくる。

長期的な血圧変化は,季節にも依存する。夏場は血圧が下がり,冬場は血圧が上がる。

 

・食録表と栄養表
食録表は,毎日の食事記録である。この表には,朝食,昼食,夕食,間食に分けて,食品名,重量,蛋白(P),塩分(S),熱量(C),カリウム(K)の計算量を記入する。表に記入する際には,自作の「栄養表」を参考にする。後述するが,食品のPSCKの計算が一番面倒だ。この「栄養表」については,次節で詳しく述べる。
この表によって,旅行や会食で食べ過ぎた時には,PCSKの値や体重がすぐ増えることがわかる。例えば,これは透析生活に入ってからのデータであるが,ある日曜日と月曜日に1泊の温泉旅行に行った際には,翌日の火曜日の朝(朝食後,透析前)の体重は,前週の土曜日の朝(朝食後,透析前)の体重より5.4kgも増えていた。土曜日には透析で体から3kg程度水分を除去したにも関わらず,5.4kgも増加したわけで,透析で水分を引かなければ8kgの体重増加があったことになる。旅行ではいかに節制が難しいかがわかる。もちろん,血圧も上昇する。おいしいものを目の前にすると,どうしても手が伸びてしまうのは,人間のさがだ。
そうなったときは,その後,食事や飲水を控えめにして調整する。この表をつけていると,どのような食品をどの程度食べ,どの程度の水分を摂ると,体重や血圧が増えるか,次第に分かってくる。つまり,この表で食事管理をしていることになる。この表を見ながら,毎日の食事量を増減して,体重が増えないように気をつけている。この食録表は,管理栄養士さんに栄養指導の際,お見せしてアドバイスをもらう。
慢性腎臓病患者の場合,食事の基本は,蛋白質の制限,塩分・水分の制限,油などをうまく利用してカロリーを確保することであるという。蛋白質の摂取は毒素を生み出すので,毒素が生まれない炭水化物や油を多くするなどの工夫が必要なのだ。

・体調元表

以上のカードを集めて,1日の体重(朝・夕),血圧(朝・昼・夕),脈拍,体温(朝),シャント音,飲水量と尿量,大便の有無,服用した降圧剤,早朝・最高・最低血圧,血圧日平均を体調元表に転記する。これらのデータの1月分の表にする。これから最も新しい数日分を転記した表や血圧日内変動のグラフは,透析の際に,医師や看護師にお見せする。

・栄養・体重・飲水表

さらに,以上の表から,栄養状態,体重,飲水量が一目でわかるように,「栄養・体重・飲水表」をつくる。食録表からは,1日の朝,昼,間,夕食のPSCKの値をこの表に転記する。また,体調元表から,その日の朝と夕の体重,その日の飲水量をこの表に転記する。これらのデータを1ヶ月の表としてまとめる。

これらの表やグラフをつくる1日の動きは次の通りである。

毎朝,起きるとすぐ,上に述べた体調管理用のさまざまなカードを集め,次に体温と早朝血圧(起床20分後)を測定する(透析生活に入ってからは,シャント音が正常かどうか,昨日の尿量と飲水量もチェックする)。次に,「血圧カード」から「毎血表」に昨日の血圧を転記する。これらのデータを「体調まとめカード」に記入する。次にそのカードから「体調元表」にデータを転記し,さらのそこから医師にお見せする「週間体調まとめ表」をつくる。そのまま,あるいは日中の暇なときに,血圧関係のグラフ(「平血表・グラフ」「朝血表・グラフ」「日内血圧変動グラフ」)つくり,「体組成表」「曜日別体重血圧比較表つくり」「食録表」および「栄養表」の改訂,「栄養・体重・飲水表」つくりへと進んで終わる。はじめの頃は,データの取り忘れがあったりしていい加減だったが,次第に習慣化・洗練してきた。
旅行時は,こうしたことは無理だ。しかし,血圧計を持参して時たま血圧を計り,また飲食の内容をできるだけ記録することぐらいは心がけている。

これらのカード,表,グラフを用いた体調管理の効果をあげると,
・血圧が上がらぬように,体重をコントロールする,
・蛋白質摂取を増やさぬようにする。しかし熱量はしっかりとって栄養に配慮する,
・水分,塩分に注意する,
などがある。

これらのデータを管理するために,私はパソコンを活用している。パソコンのソフト「Evernote」で管理している。しかし,そのためには毎日のパソコンの整備が欠かせない。パソコンが快適に早く動いているときは,毎日のこれら一連の作業は30~50分程度で終わるが,パソコンの動きが遅くなっているときは,小一時間ほどかかってしまう。平均40分位だと思う。この時間の6~7割程度は,「食録表」にその日の食事内容を記入する時間だ。大抵,1日に1~2品目くらいの食品の栄養成分を調べなくてはならない場合が多く,このことに時間を取られてしまう。ともかく,このデータ管理を続けるコツは,毎日のパソコンへのデータ記入をさぼらないことである。データが数日分たまってしまうと,記入は面倒でたまらなくなってしまう。

近頃のパソコンはOSやアプリのアップグレードも頻繁にあり,またセキュリティ・ソフトによるスキャンもあって,何かの作業をしていても,バックグラウンドで別のソフトが動いていて遅くなることもある。ジャンク・ファイルがどんどん貯まってしまうので,そのために遅くなることもあるだろう。セキュリティ・ソフトでジャンク・ファイルの削除などにも時間がかかる。パソコンをすぐ使いたい肝心な時に快適に動かない不便さもある。むしろ,パソコンが快適に動く時間の方が少ないくらいで,作業していてイライラすることが多い。これでは,時間がもったいない。しかし,それでもパソコンを活用した方が効率的であると思う。なお,私は,ディスプレイは,2つ使ってこれらの作業を効率化している。また,透析生活に入ってからの話であるが,透析日の朝に医師や管理栄養士さんに見せる表のプリントをしようとしても,パソコンの調子が悪く,すぐプリントができず困ることがある。このような場合に備えて,印刷すべき表のファイルをクラウドにおいて,パソコンとiPadを併用して,パソコンの調子が悪いときは,いつでもiPadから表のプリントができるようにしている。

1-6. 食品の成分調べ-栄養表

 蛋白質や塩分を取り過ぎないようにするなど,食事を管理するために,食品の成分を調べなければならない。はじめの頃は,食事の管理は全く駄目だったが,次第に工夫するようになった。
透析生活に入る前の10年間,数回にわたり,多摩総合医療センターで食事指導を受けた。そのせいで,次第に栄養や塩分にも気を配るようになってきた。栄養面では,管理栄養士の方が,食事のアドバイスをしてくれる。
私の場合,1日に摂取したPSCKの値を調べるために,食品の成分についての本を数冊利用している。例えば,
① 「家庭のおかずのカロリーガイド 改訂版」,女子栄養大学出版部,2011年
② 「毎日の食事のカロリーガイド 改訂版」,女子栄養大学出版部,2015年
③ 「外食のカロリーガイド 改訂版」,女子栄養大学出版部,2013年
④ 「外食・デリカ・コンビニのカロリーガイド」,2012年
⑤ 「腎臓病の食品成分表」,女子栄養大学出版部,2012年
⑥ 「香川芳子監修,食品成分表 2013年」,女子栄養大学出版部,2013年

などがある。①~④は写真付きである。④はポケットサイズの本である。⑤は慢性腎臓病患者の食事を想定していて,栄養計算にかなり役に立つが写真は無い。⑥は食品(素材)の栄養成分がものすごく詳細に書かれていて,栄養の専門家が使うような本である。

他にも2,3あるが,これらの本が最も役に立っている。①~③(改訂版)はカリウム表示もついた(一部分ついていない)。⑥は管理栄養士さんや食品の専門家が使うような分厚い詳しい本である。この本は食品の成分を調べるには適しているが,素材の成分のみの記述だけである。①から⑤のような一般の本にはでていない食品の栄養成分を調べたり,一般の本に出ている食品でもそれらのカリウムやリンの値を調べるにはよいがほとんど使わない。
食品には複数の素材からできている食品も多い。このような食品を「複合食品」と呼んでおく。複合食品には,例えばカツ丼,搔揚げ天,レーズンパン,味噌汁,各種総菜などがある。本①~④には,写真付きの惣菜(複合食品)の例が多く載っているが,「複合食品」の栄養成分の計算は,素材の栄養から計算することになり,やっかいだ。同じ総菜や商品でも,成分は店によって変わる。さらに,成分素材の量も不明なので栄養成分は推測するしかないという問題もある。例えば,酢豚は,豚肉,ピーマン,玉ネギ,タケノコ,油などの素材からできているが,これらの素材一つ一つのPSCK(蛋白,塩分,熱量,カリウム)の値を求めるには,まず,それらの量がわからなければならない。量がわかれば,⑤や⑥などの本を利用して計算できる。
この本⑤によれば,カリウムやリンなど他の成分も計算できる。しかし,量を測るのはきわめて面倒でやっていられない。レストランで量は測れない。またスーパーなどから買ってくる出来合いの総菜などでは,なおさら量がわからない(ただPSCKの表記があるものもある)。これらの本に出ていない食品については,類似の食品からPSCを類推する。このように,複合食品のPSCKを,その複数の素材から計算するのは困難だ。

これらの本では,食品100g(あるいは80g)当たりの栄養成分が書かれていることが多い。本⑤には,食品によっては,魚1匹が何百グラムであるとかのコメントがついていて便利である。しかし,自宅で素材の量をはかって料理をつくればよいが,煩わしくてできない。家庭では,総菜を買ってくることも多いだろう。そこで,毎日食べる惣菜の栄養が一目で推測できる写真付きの例がほしい。絵をみてざっくりと計算する。①~④の本は,写真付きでそのような目的に使えて便利だ。量については,写真をみて大体の量を判断する。

ただし,⑤の本には,ニンジンが「1本200g」,うどんが「1玉140g」,野沢菜の調味漬が「小皿1皿40g」などの「めやす量」がついていて,これが食べた食品量を計算する際にとても便利だ。

しかし,これらの①~⑤の本では全食品は網羅されていない。本⑥は食品成分のみの記述である。食品の種類や数は無限大といってよく,これらの本で実際に食する食品の栄養成分を明らかにするにはむずかしい。家庭で食する総菜,普段食する総菜をもっと多彩に掲載した本がほしいと思う。また菓子類のデータも増やしてほしい。

これらの書籍は2群に分かれる。おかず,すなわち複合食品に主眼を置いた本が上記の①~④であり,また,よく食べられる食品の食品成分を主眼にした本が⑤であるといえる。私にとっては,群①~④のような本で,もっと食品例が写真付きで掲載されている本がほしいと思う。本①~④に出ている食品例は類似しているものが多い。もっと特徴を出してほしい。
これらの本はすばやくPSCK量を求めるには便利であるが,不満もある。同一出版社の本では,記載内容に重複がある(詐欺にあったような気分になる)。また実際に食するものは複合食品が多いが,これらの本では素材についての成分表示が多い。複合食品の成分計算は面倒であり,これらの本の写真で量は大まかに判断する。
まとめると,計算が面倒なのは,
・量がわからないことが多い。量は店によって変わる(パンなど)。レストランで量は測れない,
・同じ食品でも,塩分が店によって異なる(ラーメンなど),
・成分が店によって異なる,

などの理由による。

食品のラベルには,Naと食塩量と記述が分かれているのも面倒だ。Naの値の2.54倍が食塩相当量となるが,いちいち計算するのも面倒なので,どちらかに統一してほしい。私は食塩量の方がピンとくる。

スーパーなどで買う総菜や弁当は,大抵の場合,P,S,Cの表示がある。もちろん無い店もある。塩分については,Na表示と食塩量の表示が,店や食品によって異なり,混在している。Na量(g単位)に2.54倍(g単位)すると食塩量になるが,Na表示は食塩表示に比べて一見少ないように思えてしまう。私にとっては食塩量の方が直感的で分かりやすい。食品業界で食塩量に統一してほしいと思う。

外食については,同じ食品でも店によって素材の配合,塩分も異なるので,食品の栄養を知るのはよりやっかいだ。外食の場合,マクドナルドやすき家などの食品成分は,ネットで調べることもできる。これらのいくつかの大手の会社の食品はカリウムやリンの値も表示されているので助かる。しかし,大手の会社でもこれらの表示がないこともあって,驚くこともある。また,外食店のメニューには食塩量,熱量のみの表示が多い。しかも小さい文字で見づらい。拡大メガネが無いと見ることができない。タンパク質量Pやカリウム量Kは栄養表などで推測する。
レストランのメニューには,栄養表示がSCのみでPKが無い場合が多いが,PSCKの表示が無いところもある。ネットで調べることができる場合もある。もっと日常食する食品のPSCKを表示してほしい。
ついでに,外食業界では,国民の健康のために塩分を減らしてほしい。外食は一般に塩分が高い。一般に和食は塩分が多いので,洋食をできるだけ取り入れるようにしている。しかし,外食のパスタも1食に6gくらいの店もあって,しょっぱいなと思うこともある。外食せざるをえないとき,塩分の少なさそうな食物をさがして街をさまようこともある。英国ではパンに含まれる食塩を10年くらいかけて少しずつ減らす運動を政府主導で勧めて減塩に成功したという。医療費削減になる。

食品の種類は多いが,実際,自宅や外食で食べるものはかなり限定されてくるので,自分専用の栄養表を作って,PSCKの値をすばやく計算できるようにした。食品を,主食系,総菜系,外食系(店舗別),間食系,果実系,飲料系,酒・つまみ系,調味料系,旅行・外出系,栄養・サプリ系,調整食品などのジャンルに分け,各ジャンルには,食品名,重量,蛋白量・塩分量・熱量・カリウム量・リン量などを記入する。補足欄として,商品名,製造元,類,中身,分類タグ,形態,量(パック1/2など),重量(g),検索用五十音(アイウエ・・),備考欄1(複合食品の場合,成分割合など),備考欄2(出典:ネット検索,書名など)を設けている。この表は,EXCELで作成している。この栄養表は,毎日,新たに食した食品のPSCの値を書き込んだり,あいまいだったり未記入の食品のPSC値を書き込んだりして次第に充実してゆく。これを毎日の食事記録をつくる際の参考にする。

1月間の食事記録表と血圧変化のグラフは,都立多摩総合医療センターの西尾康英先生の診察時にお見せした。先生から時々テストを受けたことがある。私が計算してきたPSの値と血液検査などから求められた値がどのくらい一致するかというテストである。ピタッと合うときもあったが,概ね80%以上の合致で,大体合っていたといえる。

1-7. 玉ネギ酢とサプリ
腎機能の悪化を防ぎたい一心から,私は玉ネギ酢を飲み,サプリなどを服用している。
私は,朝「玉ネギ酢」を2015年頃から飲んでいる。その作り方は酢(穀物酢など,なんでもよい)に,玉ネギを切って入れておくだけである。酢は酸っぱくてそのままでは飲みづらいので,トマトジュース50mLに玉ネギ酢をスプーン小1杯15mLを混ぜて飲む。これは,血圧を下げる効果を期待して永年続けている。
またサプリもいくつか飲んでいる。私は動脈硬化があるので,その改善のために「DHA&EPA」を2013年から,「しなやかケア(年齢ペプチド)」を2015年から服用している。血管の内壁をきれいにして血管を若返らせる効果を期待している。さらに,内臓脂肪を減らすため,「ラクトフェリン」を2015年から服用している。これは,NO(酸化窒素)を発生して血管を拡張する作用があるので,腎臓の血流改善を期待している。そのほか,眼精疲労防止に,ルテイン入りのサプリも飲んでいるが,これは腎臓病には関係ないだろう。
下で述べるが,シャント(透析ができるように,血流の勢いを増すため,手首近くの静脈と動脈を手術でつなげた部分)設置の手術中に,医師がシャント近くの「血管がきれいだ」とつぶやいておられたが,サプリの効果があったのかも知れない。ただし,サプリの服用は,クレアチニンCrの増加傾向が服用開始前と後で変化がなかったので,腎機能の改善には直接の影響は無かったようだ。

1-8. 運動-メタボ予防運動と長距離散歩・低山ハイキング
私はメタボ脱却のため,国分寺市の「メタボ予防体操」教室に週一度月曜日に参加し,2010年ころから10年ほど続けた。これは1時間程度のストレッチを主とする運動だ。参加の理由は,自分の健康回復と,病気の悪化を防いで医療費の公的負担を少しでも増えないようにしたかったからだ。NHKのテレビ番組でも,ストレッチが若返りに良いというものがあったが,この教室では,ストレッチを主とする運動が,この放映に先駆けて実施されていた。この運動をすると,いかに普段,使っていない筋肉があるかがわかる。体操後は実に爽快だ。この教室名は,現在は改名されて「貯筋運動」になっている。

2014(H24)年頃から,自宅の2階への階段を昇ることもつらくなってきて,足の衰えを強く感じるようになったので,その進行防止の為に,春からハイキングを始めることにした。幸い,定年後なので時間的余裕があったし,ハイキングをする元気もまだあったのだ。西尾先生からは,「ハイキングや山登りをするとクレアチニンが増えてしまうでしょう」と忠告を受けたが,ゆっくり歩くという条件付きでご理解を頂いた。もっとも,速く歩きたくてもできなかった。ハイキング中,子どもや私よりもご年配のご婦人にもスイスイと抜かれてゆく。実際,歩く速度は,休息時間を含めて,予定時間の2倍弱かかった。登りは2倍,下りは1.5倍である。
実はハイキングをしたことが,慢性腎臓病に良かったようだ。当時は,慢性腎臓病患者にとって,激しい運動も緩い運動も良くないということであったが,最近は,緩い運動は望ましいとされるようになってきたようだ。実際,以前,NHKのTV番組「ためしてガッテン」で,緩い運動をすると,腎臓の糸球体の外側に広がっている尿をこしとる尿細管が伸びて腎機能が改善するという番組が放映された(NHK「ためしてガッテン」2019年1月か2月初旬の放映)。慢性腎臓病に運動が良いと説く本もある(上月正博著,『腎臓病は運動でよくなる!』マキノ出版,2019」)

長距離散歩や低山ハイキングにおいては,奥多摩や秩父の低山をゆっくり登った。一応,登山の初級者用講習会に参加して基礎的なことを学んだ後,あとは一人で活動した。ハイキングや登山では,一人での行動は事故の際の対応や道迷いの対応など危険なので避けるように言われている。奥多摩といえども熊がでるので怖いし,事故もけっこうある(金邦夫「金副隊長の山岳救助隊日誌 山は本当に危険がいっぱい」角川学芸ブックス,2007)。

ハイキングや登山のグループも多々あるようだが,自分の歩調スピードがあまりにも遅いので,仲間に迷惑がかからないように,マイペースで登るには一人でゆくしかない。そのため,また低山ハイキングとはいえ,障害者の体なので何かあるかもしれず,事故に備えて山岳共済保険に入った。保険は,高山の登山ではなく,低山のハイキング用に入ったので保険料は高くはない。

また,迷ったり捻挫や骨折などで動けなくなった場合に備えて,救助要請の際に自分の位置を伝えるために,手のひらに入る小型のGPS受信機を購入し,携帯電話で位置を把握できるようにした。もっとも,山では,携帯電話が圏外になることも多く,GPSが使えないことも多いが,少しでも安全性を高めるために用意した。

最初はほとんど平地を歩く程度の長距離散歩で体を慣らし,その後次第に高い山へ登るようにした。山間地を走るバスは午後4時頃で終バスとなる場合が多いので,足が遅いので帰りのバスに絶対に乗り遅れることのないよう,行き先も無理をしないように決め,十分計画を練った。ハイキングや登山のガイドブックで初級者用の山をさがした。健常な人が3,4時間でのぼって下ってこられる山がねらい目だ。
このハイキングを始めたころは,下着のみならずシャツまで汗でずぶぬれになった。いかに自分の体が余計な水分をため込んでいるかがわかった。これで体重をぐっと減らすことができ,体重もハイキングを始める前は70kg以上あったが,少しずつ下がり,ハイキングをした2年後には4~5kg減って,メタボからほぼ脱却できた。健康に一歩近づいた。
帰路は,温泉がある場合は,汗を流すために山の中の温泉に入る。これも楽しみの一つだ。疲労も急速に回復する。もっとも,ハイキングの後の疲労が完全に回復するには3日位かかった。
この長距離散歩・低山ハイキングは,2014(H24)年4月~2016(H28)年4月の2年間ほど行った。ご参考までに,このリストを紹介する(表1-1)。この程度の山なら慢性腎臓病の方もゆける。ただし,この期間の私のクレアチニンの値は,後に図示するが,およそ2.0~3.0(基準値:0.61~1.04mg/dL)で,あまり高くはなかったのでハイキングができたのだろうと思う。

           表1-1 長距離散歩・低山ハイキング 

(全29回,表は2ページあります。1ページ目の左下の矢印をクリックすると2ページ目がでてきます。以下同じ)

これらの内,一番よかったのは,高尾山南陵,つらかったのは奥多摩の「本仁田(ほにた)山」と」「棒の折れ山」だった。
美しい緑の中のハイキングは癒やされる。ハイキングは楽しかったが,危険な場面も確かにあった。秩父の「棒ノ折山」では,往路,ゴルジュ(切り立った岩壁に挟まれた狭い谷)での1mほどの段差をのぼるとき,リュックの重さでひっくり返りようになった。落ちていたら下は岩場なので怪我をしただろう。頭を打ったら大変だった。また,帰路,疲れて歩けなくなり,30分ほど休憩してやっと歩けるようになった。

【写真】棒ノ折山のゴルジュ  真ん中に人がいる。

青梅の低山「刈寄(かりよせ)山」では,道に迷った。道が途中で無くなった。おまけに,尻を蜂に刺された。ズボンの上からさされたので,深くなかったのと,さされたのが1回だけだったことが幸いした。蜂がこちらの前で停止していた。後で知ったがこれは攻撃態勢だそうだ。
道無き道を少しさまよったが,崖を下ると大きな道が突然眼前に現れてほっとした。また,奥多摩の生藤山や刈寄山では,急坂を下る途中,靴底がはがれたが,テープなどの応急措置の用具を持参していたので助かった。
ハイキングや登山をしていた期間は2年間ほどであったが,この期間内のクレアチニンの増加速度は,ハイキング前と同じだったので,ハイキングの腎臓への悪影響はほとんど無かったと思われる。ハイキングによって,体重が数キロ減り,メタボ体質からほぼ脱却できたことは,腎臓にも良かったと思う。体重が減少すれば血圧も下がるであろうし,内臓脂肪の量も下がるであろうから,動脈硬化の改善なども期待でき,間接的に腎臓への負担が減ると思う。西尾先生も「脂肪が腎臓に悪いのです」とおっしゃっていたことがあった。

しかし,この後,すねの打撲傷がきっかけになったらしいが,腎機能の急速悪化モードに入り,ハイキングは中止せざるを得なくなった。
また,10年以上にわたる闘病生活の中で,仕事で外国出張(オーストラリア,10日間)もあった。西尾先生は,元野球選手の長島さんの例を引いて,出張中に心房細動による脳梗塞を心配して下さったが,無事帰国した。

写真  奥多摩の春(市道山のふもと 笹平にて)

写真:バッタ 20151015 関八州見晴台の途中

1-9. 腎機能の「緩慢な悪化モード」から「急速悪化モード」への転換-低蛋白・低塩分食に耐えた2年間
腎機能の悪化の変化を何年も前から追っていてわかったのであるが,西尾康英先生に見て頂くようになってからの8年間は,食事管理のせいもあって,腎機能は少しずつ悪化するにとどまっていた。しかし,8年目の2016年12月頃から,図1に示すグラフの通り,クレアチニン・クリアランスの逆数1/CCrの増加が急になり,「ゆっくり悪化モード」(8年間)から「急速悪化モード」へ変化し,いよいよ終末期に入ったようだ。実際,その2年後,ついに末期腎不全に至った。図1のグラフは,2010年4月~2017年11月までのデータを示す。

クレアチニン・クリアランスCCrが7.0当りを超えた頃から,急に体調が悪化して,尿毒症の症状が次次に現われ始めた。例えば,5分以上続くもうれつな足のつり,頻尿,強いだるさ,意欲の減少,白内障の進行,集中力の欠如,疲れやすさ(少し歩いただけで,呼吸が苦しくなる)などの症状がみられるようになった。
「急速悪化モード」に入ってからは,貧血がひどくなり,治療にこれまでになかった造血ホルモンの注射が加わるようになった。
「緩慢な悪化モード」から「急速悪化モード」への転換は,私の場合,打撲傷の影響ではないかと思う。あるとき,田舎の方で太く長い竹を根元から切っていたところ,切った竹の上の部分がはねて私の左脚を強く打った。すぐに大きく腫れ上がった。応急処置し,後日,整形外科を受診したが,腫れがひくまでに2ヶ月位かかった。これが腎臓にダメージを与えたのではないかと思う。大地震で家が倒壊して体が押しつぶされると,筋肉が壊されて体内に毒素が発生し,それで腎臓がだめになるという記事をどこかで読んだ。しろうと考えであるが,多分,それに該当したのではないかと思う。西尾康英先生も,「どうも食事以外の原因で急に悪くなったのではないかと思います」とおっしゃっておられたので,この妥当性は高いと思う。
「急速悪化モード」に入ってからは,ワラにもすがる気持ちで,サプリとして,毒素を吸着する竹炭,足の裏に貼って毒素を吸い出すとされる張り薬,動脈硬化に良いとされる特殊な油(アマニ油)の摂取も試みてみた。しかしこれらは,末期腎不全にはあまり効果は無いようで,すぐにやめてしまった。
この「急速悪化モード」に入ってから入院までの1年半ほどの間の食事は,蛋白制限や塩分制限を,「緩慢な悪化モード」の時より厳しくし,制限をできるだけ守るようにした。このため,低蛋白・低塩分食を摂っていたが,まずくて本当につらかった。慢性腎臓病用の低蛋白ごはんや低蛋白の総菜(レトルト類),低蛋白の菓子などを利用した。また,慢性腎臓病患者用の宅配弁当や冷凍食品も利用した。しかし,味もいつも同じなので,すぐ飽きる。新鮮な食材を食べたくなる。本当にきつかった。当時は,妻にも「もっと普通の物を食べさせろ」とよく当たっていたようだ。怒鳴ることもあったようで,妻は私の性格が変わってしまったのではといぶかったほどだった。

 

図1-1 クレアチニンの逆数(1/Cr),クレアチニン・クリアランスの逆数(1/CCr),e-GFRの値の変遷(2010年4月~2017年11月まで)。原点近傍は2009年12月29日。図中では,変化を捉えやすくするため,CrとCCrは逆数で示してある。(1/Cr)*20は,クレアチニンの値の逆数の20倍の値を示す。CrおよびCCrの値は医師からの提供値による。2016年後半から急速悪化モードに入っているのがわかる。2018年2月中旬にうっ血性心不全・末期腎不全で入院となり,人工透析を開始した(この時はCr>10で 1/Cr*20=2.0,BUN>100だった)

1-10. 途中で挫折した生体腎移植
急速悪化モードに入ってから約1年経過しようとしていた2017年10月初旬,西尾先生から,数ケ月後には私の腎機能がほとんどゼロになるだろうということで,そろそろ透析や移植を考えるように言われた。そのことは,図1のグラフに示す1/CCrの変遷から予測できた。透析や移植をしないと数日~2週間程で死に至るという。
まず,腎移植を試みることにし,10月下旬に西尾先生に,親族の一人も同席してその意思を伝えた。その親族の一人から片方の腎臓の提供を申し出があったのだ。西尾先生から腎移植を実施している腎臓外科のある病院をいくつか教えて頂いた。それを受けて,早速,11月から環境の良いJR中央線の高尾駅の近くにある大学附属の病院で,腎移植の検査を進めることになった。移植される側(レシピエント)と提供する側(ドナー)の血液型が合わなかったが,現代の医学では,これを血漿の入れ替えによって克服できる。年齢は75歳まで可。私は当時あと数ヶ月で75歳になるのでぎりぎりセーフであった。
腎移植のための検査はいろいろあった。腎機能の他,心臓,肺,胃など体全体を調べる。ドナーもレシピエントもいくつもの検査が進んだ半月位後,初めの頃に実施した検査の結果が出てきた。特にイヌリン・クリアランス(腎臓が食物繊維の一種であるイヌリンという物質をろ過する機能)という腎機能を調べる精密な検査を受けたが,その結果,私の腎機能は数%に落ちていて完全に末期症状であることがわかった。ドナーもかなり高齢のため(75歳未満),その腎機能は60%未満(60%より数%下)であった。そこの病院では,ドナーの腎機能が60%未満の場合には,60%より例え数%低いだけでも,腎移植は一切ダメという厳格な規則があった。60未満であると,もし移植を実施してもドナーの体の具合が悪くなるらしい。
その結果,腎移植は不可ということになり,医師からは代替案として「腎移植センターに登録してみたらいかがですか」と言われたが,移植は20年位待ちだそうで,それでは,それまでに私の寿命もつきるかもしれない。そこで,これも運命と思って腎臓移植はあきらめ,人工透析にすることにした。こうして,私の生体腎移植は夢とついえた。医師のお話では,実際,腎移植を希望しながら,こうした理由から腎移植を諦めざるを得ない患者の割合は2/3に上るという。
透析には腹膜透析と血液透析がある。西尾康英先生からは,はじめに前者を勧められた。私がまだ若干の仕事(いくつかの公的機関の委員など)をしているので,昼間の時間が空くようにと御配慮下さったのだと思う。腹膜透析の場合は,時間が自由になる反面,自分も妻も清潔さを保つ衛生管理に自信がないことや,腹膜が数年で劣化し,いずれ血液人工透析になる場合もあるらしいので,これはあきらめて,初めから血液透析を選んだ。そして,いよいよ近々透析生活に入る覚悟を決め,仕事はすべて断った。なお,腎移植のための検査費用はかなり高額となる(30万円程度)。移植が成功すれば費用は保険適用となるが,移植がうまくできなかった場合にはその一部しか保険適用にならない。

1-11. シャントの設置と透析導入基準
生体腎移植が不可能ということで断られた後に,ドナーの腎機能も60%未満でかなり低下していたが,57%ぐらいだったので,2,3ヶ月期間をおき,その間に食事制限など(蛋白制限など)をすればまた少しは良くなるのではないかとも思い,ドナーの再検査をして再度腎移植を試みるか,それともすぐ人工透析にするか迷った。しかし,私の腎機能も末期症状なので,いつ尿毒症で倒れるかわからない。その時期は刻々とせまっている。そこで,どちらにするか決断する前に,症状の急な悪化に備えて,まず,いつでもすぐに人工透析(血液透析)ができるようにしておくことにした。その準備として,多摩総合医療センターでシャントをつくっておくことをお願いした。血液透析のためには,手首にシャントを作らなければならない。(緊急の場合は,首の静脈をつかう)
血液透析では,血液を静脈から機械(ダイアライザー)へ送り,そしてまた静脈へ戻すのだが,静脈の血流が弱いので,機械に血液をうまく送り出せない。そのため,手首近くの静脈とそばにある動脈とつなぎ合わせて,血流に勢いをつけて機械に送り出すようにする。シャントとは,この吻合(ふんごう)された血管のことである。シャントは長く使っていると詰まってくることもあるらしい。手術後すぐ詰まってしまう人もいるらしい。するとまたそれを修復(拡張)する手術を受けることになる。私の場合,倒れる前にシャントを設置するというこの判断が,後々良かったことになる。

西尾先生によると,透析導入の規準は,血液検査値の悪化,すなわち
・血清クレアチニン(Cr):10mg/dL以上,
・血清尿素窒素(BUN)が100 mg/dL以上,
・eGFR<5
が見られ,しかも尿毒症の症状が顕在化した場合である。
透析導入の基準については,次のような指標もパンフ上に紹介されていた(2017.06.01 パンフ「STOP!! 慢性腎臓病」より)。この基準は,多摩総合医療センターの基準より少し緩い。
・血清クレアチニン(Cr):8mg/dL 以上
・血清尿素窒素(BUN):80mg/dL 以上
・クレアチニン・クリアランス(CCr):10mL/分 未満
・血清カリウム:6mgEq/L 以上

筆者の場合,西尾先生から,「シャントを遺設する条件は立派に成立しています」というお言葉があった。

2018年の1月12日,数日前に実施した市の特定健診結果がでた。クレアチニンは10.1で健診をして頂いた医師が驚いて,「大丈夫ですか」と自宅まで電話をかけてきて下さった。そこまで悪くなっていた。
1ヶ月あまり足裏に毒素を採るという薬を張ったり,2,3ヶ月間毒素を吸着するという竹炭を飲んだり,ガンマ・リノレン酸を摂ってみたりもしたが,効果は無かった。これらは,私のように慢性腎臓病がひどく進んでしまっていてはきかないのであろう。このころ,尿も出なくなり,また猛烈な便秘を体験し,足の猛烈な「つり」が5分以上継続し,冷汗をびっしょりかいたりした。

1月18日,やっと予約していた待望のシャント設置手術のために都立多摩総合医療センターに入院し,当日は検査を行い,翌日手術を受けた。左手首にシャントを遺設した。手術は局所麻酔をして2,3時間であった。シャント遺設後は,左手で重いものを持たないようにし,また,腕まくらをしないように注意を受けた。
手術後の病院食はいわゆる透析食で,1日当たり蛋白質,塩分,熱量摂取はそれぞれ,30g,4g,1800Kcalであった。飲水量は1日800mLに制限された。入院前の食事は,体調が悪く3日間「おかゆ」だったので,1日1000Kcalも摂っていなかったと思う。そのため病院食の夕食は多いと思ったが,体力をつけるため無理に全部食べた。この透析食は,私にとって退院後の透析食にも参考になると思い,記録をつけていた。以前,西尾先生から教育入院を薦められたことがあった。実行はせず,自宅で食事管理をしていたが,なるほどこういうものだったのかと思った。やはり,西尾先生がおっしゃった通り,教育入院をしておけばよかったと反省した。手術後もシャントの様子を見るため,さらに2日入院し,5日目に退院した。

2018年1月30日,都立多摩総合医療センターで手術跡から抜糸し,血流超音波検査を受けた。シャントの血流はよく発達し,すぐ透析に入れる状態であると言われて一安心した。しかし,シャントを作ったが,透析はまだ実施しておらず,この後,半月も立たない2月15日に,ついに自宅で倒れてしまった。
この抜糸の直前の1/26に「後期高齢者医療制度特定疾病療養受療証」を市役所に申請,抜糸の直後の2/5に「障害者手帳」を入手している。これは,倒れて入院する直前であったが,この手続きを済ませておいたことが,退院時に会計上の便宜につながった。

1-12. 障害者申請と人工透析の経費
シャントを作って頂いて,いつでも透析に入れる準備が整ったが,人工透析はかなり費用がかかるらしいので心配になってきた。実際,後に透析に入ってから,実際の経費を知ることができたのでここに記す。
人工透析にかかる経費は,東京都後期高齢者医療広域連合からくる「医療費等通知書」をみればわかるが,薬代などは別にして,血液透析だけで1回3万円程度かかる。週3回の透析の場合は,月に12,13回になるので,38万円か42万円になる。
そこで,公的な助成を頂くために,まず市役所で障害者の申請をすることにした。
シャントをつくると障害者になる。市役所で障害者申請をすると,「障害者手帳」を交付される。申請はシャントの作成が決まったら,手術前にもすぐ行うことが望ましい。この時,医師が作製する書面「身体障害者診断書・意見書(じん臓機能障害用)」と本人の写真が必要になる。筆者の場合は,血中のクレアチニンは当時8.0を超えており,障害者としての申請は立派にできるとういう医師のお話であった。市役所でのこの申請時に,医療費の補助についていろいろと説明して頂いた。身障者に対するその他の支援もいくつかあってうれしい。国分寺市では,「障害者福祉ガイドブック」という冊子を頂けるが,そこに支援が記されている。例えば,足が悪い糖尿病性の慢性腎臓病患者に対しては,タクシー代など通院費用に対する援助もある。
私の場合,結果として「慢性腎不全による腎臓機能障害(1級)」となって,東京都から「身体障害者手帳」を交付された。この入手は2018年2月5日のことで,うっ血性心不全と末期腎不全で入院したのが同年2月15日であったから,入院10日前のことであった。この入手によって,多摩総合医療センターでの入院しての透析治療と透析クリニックでの透析治療の会計がスムーズに行われたことは言うまでもない。

 人工透析の経費は公的な医療費補助によってカバーされる。私はこのとき75歳となったので,75歳以上の場合を記す。
ネット上でも紹介されているが,人工透析に対しては,医療費の公的助成制度が確立されている。人工透析は,医療保険の高額療養費の特例,すなわち「長期高額疾病(特定疾病)」とされ,保険給付される。その結果,透析治療の自己負担は1か月1万円が上限となる(所得額によっては2万円が上限になる場合ある)
すなわち,人工透析に係わる経費のまず一つ目に「人工透析が必要な慢性腎臓病」を含む難病に対する医療費の助成がある。「人工透析が必要な慢性腎不全」は,東京都後期高齢者医療広域連合によって,特定疾病に含まれている。市役所に行って,難病申請をし,この広域連合から認定を受けて「特定疾病療養受療証」(○長,「マル長」と略称される)を交付してもらうことができる。認定結果の通知は,申請から3ヶ月ほどかかる。この受療証を医療機関に提示すると,特定疾病の自己負担限度額は一つの医療機関につき,月額1万円となる。なお,難病申請は毎年行うことになっている。

次に二つ目の補助として,東京都から発行される「〇都」(「マルト」と略称される)と呼ばれる「○都 医療券」によるものがある。これを「後期高齢者医療被保険者証」や「特定疾病療養受領証」とともに医療機関に出すと助成が受けられる。この「○都 医療券」によって,人工透析の自己負担限度額の1万円もタダになる(収入による)。「○都 医療券」は,申請は市に提出するが,東京都福祉保健局保健政策部から送られてくる。
これらの助成によって,人工透析に対する自己負担額は実質ゼロになる。降圧剤などの服薬,アレルギーによるかゆみを抑える軟膏など,透析クリニックで処方される薬代の負担も無い。透析病院には,月初めに「後期高齢者医療被保険者証」,「特定疾病療養受療証」,「○都 医療券」「障碍者手帳」を提出して確認を受ける。
このように,人工透析を受けても,経費の心配はしなくて済む。こうした医療保険による医療費助成の制度が発足する昔では,家や田畑を売ってまでして治療費を工面したという話もあったという。この支援制度が無ければ,ほとんどの患者は高額である透析治療を受けられないと思われるので,この制度は本当にありがたい。

1-13. 倒れてハイケア・ユニットへ-総合病院での透析開始
2018年1月19日に多摩総合医療センターでシャントを設置して頂いてから1月もたたないうちに尿もでず,足もパンパンに張って,まるで固い大根のようになった。やっとの思いで近くの整体院に駆け込んでマッサージを3日間ほど受けてみたが全く良くならなかった。確か半年くらい前までは血圧を下げるために排塩作用のある薬剤ナトリックスを病院で処方されていて,1日2錠ほど服用していたが,自宅にその残りがあったので,思い切り5,6錠服用したところ,足のパンパンのむくみはかなり良くなった。

しかし,そうこうしているうちに,2018年2月12日頃から具合がひどく悪くなり起きていられなくなって寝込んでしまった。尿毒症状が悪化したと考えられる。3日間は食欲もなく,おかゆのみしか口に入らなかった。そして2月15日には,ゼイゼイして息をするのもつらくなり(呼吸困難),全く動けなくなった。後で知ったが,慢性腎臓病が酷くなると,水分を体から出せず,肺に水がたまるせいで呼吸困難になるらしい。妻が多摩総合医療センターに電話をするとすぐ来るようにとのことで,病院にゆくことにした。私は2階のベッドから下に這うようにして降り,さらに頑張ってやっとのことでシャワーをあびた。自家用車で多摩総合医療センターの救急(ER)に運んでもらう。病院についても,駐車場からはERまで100mか200mだが歩けなかったので,家内が病院から車いすを借りてきてくれて移動した。病院では,これはかなり重症ということで,そのまま入院となった。すぐ,ストレッチャーに乗せられてハイケア・ユニット(HCU:High Care Unit 高度医療室)に収容された。ハイケア・ユニットは,集中治療室(ICU:Intensive Care Unit)に収容するほど重篤ではない患者を入れるところである。ベッドがずらりと並んでいる。ここで,10日間ほど寝た切りになった。肺炎のような感染症を併発していたかもしれない。
私に対しては腎臓内科の先生方が診察して下さったが,そのなかに,シャント設置の手術に携わって下さった先生もおられた。ここ10年間,私の慢性腎臓病の治療に携わって頂いた西尾先生は,「もっと早く入院するとよかった,こんなに我慢していなくてもよかったのに」とおっしゃっておられた。
ハイケア・ユニットでは,私は首を左右に少し動かしただけで酸欠状態になるので,数日間,酸素マスク装着して寝ていた。酸素計を指に装着して体内の酸素量をはかる。診断名は,「鬱血性心不全・慢性腎不全(末期)」であった。これは,末期腎不全によって,心臓の機能が弱まり,血液のうっ血が起こっている状態で,呼吸困難やむくみが生じることであるらしい。

家内は医師から,私が万が一の場合,延命措置を希望するかについて聞かれたので病状は相当悪かったと思う。このユニット内で,ベッド上でX線検査が可能で肺や心臓の検査を受けた。抗生物質の注射や輸血も受け,人工透析と思われる治療も4回実施された。私にとって,人工透析はこれが初めてであった。シャントを1月ほど前につくっておいてよかったとしみじみ思った。多摩総合医療センターでの血液透析(と思われる)は,1回3時間で,最初の3日間は毎日,その後は1日おきに行われた。ハイケア・ユニットから透析室へは,ストレッチャーに乗せられて寝たまま移動し,透析を受けた後は,またストレッチャーに乗せられて病室に戻る。
都立多摩総合医療センターには2月15日に入院したのだが,同21日にハイケア・ユニットからやっと一般病棟へ移動し,3月3日まで半月強入院した。一般病棟に移っても,人工透析を5回受けた。食事はハイケア・ユニットにいたときは栄養剤を注射されていたのであったが,一般病棟に入ってからは, 慢性腎臓病患者が食するいわゆる透析食になった。
透析(血液透析)は,入院全体の17日間で計8回,つまり2日に1回の割合で人工透析を受けたことになる。透析の結果,水分が抜かれたため体重は入院時63.9kgであったものが退院時2日前には51.6kgまで12.3kgも減少した。
このハイケア・ユニットで透析をするに当たり,1ヶ月前弱にシャントを作っておいたことがよかった。つくっておかなかった場合,血液の透析機器(ダイアライザー)への出し入れは首の静脈から行うことになり,より面倒なことになっていたと思う。また,都に身障者の申請を出しておいたことも会計上スムーズにいって良かった。
ハイケア・ユニットから一般病棟の病室に移されて,透析をしながら,結局,3月3日まで半月以上入院していたわけであるが,寝てばかりいて足腰が弱り,しっかり歩けなくなっているので,退院前の1週間ほどであったか,リハビリもして頂いた。病院のこのご配慮に感激した。技師の方に回復が早いので驚かれたが,リハビリ以外にも日中,廊下や病室の中でひそかに歩いたりして体を動かして,自分なりに回復に努力していたのだ。
なお,退院時に,医師から,退院後の透析生活に入ってからは,これまでの数年間の食事内容を見直し,蛋白質量をもっと増やすようにというアドバイスを受けた。
この入院中に,自動車の運転免許状の更新期日が来ていたが,更新を延ばした。教習所の高齢者教習が混み合っていて,教習が受けられず,免許の更新は当初の予定より2ヶ月程遅れた。当センター退院後は,透析専門のクリニックへ通うことになった。

(「慢性腎臓病闘病記(2)-人工透析生活の実際」に続く)