ユネスコ-APEID「パキスタン理科教育巡回講師団」に参加して
1985年3/31から5/2まで,文部省の依頼でユネスコの仕事である「パキスタン理科教育巡回講師団顧問」(Adviser for Mobile Team in Science Education-Pakistan)として,パキスタンに赴任した。私にとってイスラム国を訪問するのは初めての経験であり,イスラム国とはいかなるものであるかを体験した。私は,オーストラリアのVictria 州教育省のDale博士と一緒だった。発展途上国を巡回して、理科教育を推進するためのアドバイスをすることが目的であった。
このプログラムは,アジア地域教育開発計画(APEID:Asian Programme of Educational Innovation for Development)と呼ばれたもので,1960年開催の第11回ユネスコ総会において,アジア地域において1980年までに最小限7年間の無償義務の普及を目的としたカラチプランが採択されたことに始まる。その後,先進国の教育の引き写しではなく,真に開発途上国の必要に沿った教育制度,手法,内容の発達が必要との反省から,各国が自らの手で教育開発を進める能力の向上を目的とする新たな教育協力方式が求められるようになり,APEID事業が提案されるに至ったものである。APEIDは,タイのバンコクにアジア・太平洋地域教育事務所(The NESCO Regional Bureau for Education in Asia and Oceania)が統括していた。以下ではこの事務所の略称を「ROEAP」(BureauをOfficeに変えて呼んでいる)または「ユネスコ地域事務所」と呼ぶ。
当時のパキスタンは文盲率も高く ( 70%以上).初等教育も不足しているが.国家の発展を計るため中等レベル(日本の中3 -高1に相当 )の科学教育の振興を望んでいた。このよう な背景の下に.UNESCO-APEIDによる 事業が実施さえたが,筆者らはその一部の「 科学教育巡回 講師団-パキスタン」としてパキスタンに派遣された。経費は,ユネスコ・ 科学教育信託基金 1983年度拠出 金によって賄われた。
この事業の全体像を示す。
1>事業の目的
- 科学教育カリキュラム専門家および科学教員養成者に対して.科学教員等のための訓練教材.作成技桁等の訓練を行なう.
- 地方における科学教員養成開発プログラム作成責任者に対する訓練
2>事業の実施形態
1) 主催国 3 名によるスタディ・ビジット (省略)
訪問国: タイ.フリッピン.シンガポール
2) 国内研修会
標題: National Workshop on Improving the Competencies of Teachers in Teaching Science at Secondary Level
3) リソース・パーソンによるスタディ・ビジットリソース・パーソン:
Dr. Les I ie G. Dale, Assistant Regional Director, Educational Department Victoria, Australia
Dr. Takashi Shimojo, Assistant Professor, Tokyo Gakugei University, Tokyo, Japan
2 名のリソース ・ パーソ ンは.パキスタンにおける国内研修 会の前後にバンコクのROEAP を 訪問 した.
事前: 1985年 4 月1 日- 4 月2 日
パキスタンにおける国内研修会についての事前の打合わせ
事後: 1985年 4 月29 日-5 月1 日
国内研修会に関する 報告並びに評価報告書作成と提出
ROEAP 側世話人: Dr. H. C. Pant, Specialist in Science and Technology
3>国内研修会
1) 期間: 1985年 4 月7 日ー 4 月2 5日
2) 場所: Curriculum Wing, Ministry., of Education, Islamabad, Pakistan および Federal College of Education, Islamabad
3) 講師団: Dr. Mohammad Ilyas (Organizer of the workshop, Physics),
Dr. Uaz Ahmad Chaudhry (Co-organizer, Chemistry),
Prof. H. A. Hafeez (Biology),
Hr. Khad i m Ali Hashmi,Deputy Di rector (Science),Curriculum Research and Development Centre, Lahore
4) 参加者: 計28名
Col l ege 教員 14名,中学校教員 13名,地方文教関係者 1名
5) 内容:
第1 週 科学教育に関する講演(指導案作製実習のための準備)
第 2 週 主として教師の賣質に関する講演および実験技術に関する実習第3 週 指導案作製実習
研修会におけるリソース・パーソンの業務:
- 研修会開催方法と内容に関する相談
- 講演並びに実習指導( 内容については付録 2 参照)
- 実験モジュールの製作
- 研修会の評価
- その他
- 評価
6) 評価:
(1) 世界の科学教育においてはすでに確立さ れている「 探求の 過程」などの方法論は.講演と実習を通じて.碍修会参加者に十分理解されたと考えられる.
(2) リソース・ パーソ ンなどによる科学教育に関 する 最新情報に 接し.パキスタンにおける科学教育の実情が世界のそれと比較して.どのような位置を占めているかについて.講師団諸氏並びに研修会参加者に衝撃を与えた模様であ る.
(3) 参加者に対 する アンケート 方式の 研修会評価結果によると.参加者のほぼ全員がこの研修会にほぼ満足し.この種の研修会の継続を強く希望している.
(4) 今後.本研修会の波及効果が徐々に現れるものと期待される.
(5) 以上により .研修会の目 的は十分に達成されたと 思われる. APE I D の活動はパキスタンにおける科学教育振興に大きな意義があると思われる.
(6) 教科書の 現代化並びに 理科教育の一貫性 , 器材の充実.理科教育と 言語.教員大学の充実など今後解決あるいは協力すべき問題が多く存在する.
参考 1 パキスタンにおける教育制度(当時)
School | School Year | Number of Schools |
Primary School | 1-5 | 8000 |
Middle Secondary School | 6-8 | 6500 |
Secondary School | 9-10 | 4500 |
Intermediate School | 11-12 | 1000 |
University, Institute | 13-15 |
参考 2 リソース・パーソンによる研修会における講演並びに実習指導の内容
Presentations by Dr. L. G. Dale
Processes of Science and the Use of Enquiry, Cognitive Development of Children, Competences for Science Teachers, Evaluation in Science Tea- ching, Examples of Instructional Materials, Hodel/ Unit Writing, Problems in Writing Materials, Workshop Evaluation.
Presentations by Dr. T. Shimojo
Laboratory Techniques-Physics, Computer Aided Instruction, Relationships of Physical Concepts to other Fields of Science, Examples of Instructional Materials, Computer Simulations for Physics Education, Physics Concepts in Everyday Life.
まず,二人でバンコクのユネスコ地域事務所へ立ち寄って,業務の打ち合わせを行った。そこの事務所のこの業務の責任者はインドの方だった。それからパキスタン航空でパキスタンの首都のイスラマバードへ向かった。イスラマバードは,パキスタンの中央より少し北方に位置している。近くには低い岩山も見える。ごちゃごちゃはしていない。パキスタンの南の海岸には有名な商都カラチがあるが行かなかった。ラホールには行ったように思うが,もう日誌も捨ててしまって無いので,よく思い出せない。
イスラマバードの国際空港で、入国審査をうけるとき、「お酒は持っていないか」と職員から鋭いまなざしで聞かれた。パキスタンはイスラム教の国であるから、飲酒は禁じられていて,持っていれば没収される。ただし、入国後、外国人用のホテル(国際ホテル)では,ビールは飲める。私はお酒を持参していなかったので問題は無かったが,単3の乾電池を何本も持っていたので,それをまじまじと調べられた。爆発物ではないかと疑われたようだった。
パキスタン教育省のカリキュラム・ウイング(wing)において,パキスタンの全県から28名の中学校段階の理科教員や関係者が集められて,理科教育の講習会が開かれるので,そこに参加した。これは理科教員の資質向上をめざした現職教員教育の一環である。もう少し詳しく述べると,この研修会は,パキスタンの中等カレッジにおける中等教育の(9・10学年)を対象にしていた。参加者の内訳は,カレッジ教員が14名,中学校教師が11名,教育省のカリキュラム担当職員が3名であった。
その仕事に入る前の休日に,研修の講師役の先生が昔に建てられた砦(fort)見学に連れて行って下さった(その名称は忘れてしまった)。薄茶色の石でつくられた巨大で立派な建造物で,こんな立派な建物があるのかとびっくりした。東京駅をもっとガッチリとしたような感じであったと思う。そこへゆく途中,商社の日本人の2人のグループと一緒になった。砦のなかは,パキスタンの人々も多数見学にきていたが,「どこの国からいらしたのですか」と人なつこそうな市民の方から言葉をかけられた。また,唐草模様の鉄格子の入った窓があり,「窓の前に立つと涼しいですよ」と言われ,立ってみるとなるほど涼しいので驚いた。
写真 Fort前にて
写真 Fort内アラビア模様
写真 Fort内 細かな模様の鉄格子(この前に立つと涼しい風に当たる)
別の日の休日に,同先生は広く美しい庭園に家族連れで案内して下さり,ご家庭でつくってきたお弁当をごちそうして下さった。それは,ヤギ肉をまぜた炊き込みごはんで,こちらではお祝のときに食するという。
研修会(workshop)では,パキスタン国内で,外国において学習評価についての研究で博士学位を取った唯一の人物が教育評価法について講演を行ったり,パキスタンの教授が軟水と硬水の違いなどの実験を交えて講演などがあった。言葉は,全て英語で行われた。パキスタンはかって英国の植民地であったので,参加者の英語を話す能力は高く,ペラペラである。「物の値段が高い」を表現するとき,私は米国流に“It is expensive.”といい,職員のかたは“It is costly.”という具合に英国風である。
我々顧問団も講演したり,いろいろなことを行った。この研修の指導者側の教員が物理で日本製のプログラム電卓を持っており,私は物理でその使いかたを所望され,放物線軌道の出し方など,いくつかプログラムを作ってみせたりした。学校で教室(理科室)の状況など見てみたかったので,学校見学が無かったのが残念だった。
会場となった講堂は42℃の熱さにもなり,冷房はないので閉口した。ある日,翌日に講演(題目はもう忘れた)を依頼され,徹夜で原稿とOHP原稿をつくったせいで,翌日,他の講師が話をしている間に眠気がでてしまい,参加者にからかわれたこともあった。
また,断水も頻繁におこった。手も洗えず,高温化での断水で衛生上問題がある。ある日,おやつにクッキーが出されたが,当地では,右手で食べ物をつかみ,左手でお尻を洗うのが一般的であったから,衛生を心配した。案の定,ほぼ全員,お腹を壊してしまったが,皆さんケロッとしていた。
途上国の理科教育は知識重視であって,観察・実験はほとんどなされていないのが一般的だが,パキスタンも当時はまだまだそういう状態から抜け出していないようだった。このような状態であると,子供には科学的態度が育たない。教員にもそうした態度が育っていないことを図らずも知る失敗談がある。
ある朝,研修をサポートしていた教育省の職員の方から,「今日の午後になにか実験を見せてほしい」と急にたのまれた。多分,何かの都合で時間が空いて,その穴埋めだろう。機材はほとんど無いらしい。私がまだ日本にいる間に,実験の演示の希望を連絡してくださっていたら,いろいろ準備してきたものをと悔やんだが後の祭りだ(購送機材購入予算はついていなかったと思う)。とこかく,パキスタンですぐそろうものでやろうということで,職員の方といろいろなテーマを相談し,できそうなものとして,日本では小学校でもやる,金属の熱伝導を選んだ。これは,アルミ板などを10cm角位に切り,その上の何か所かに蠟をつけ,板の一部を加熱して蠟の漬け具合を見ればよいのであるが,教育省内に理科室も無く,また会場は参加者用の椅子だけで机も無かったので,壇上で参加者全員に見やすくするように,少し大きい器具を使って見せることにした。数十cmの長さの直径が数mm程度の太さの金属棒の上に蝋燭を数本固着し,棒の一端を加熱するという日本ではよくやられている実験にした。しかし,これがまずかった。
機材は,鉄製スタンドやアルコールランプや蝋燭はあるというが,金属棒は無いという。しかし金属棒は市場で探してくるから問題ないという。昼になっても金属棒が届かず,事前の予備実験はできなくなった。ついに直前に金属棒が届いたが,なんと建築用の敷居に用いる直径が10mmくらいの太い鉄製のレール(日本のものよりごっつい)を市場で買ってきて,それを長さ5,60cmに切断したものだった。これでは熱源が不足して失敗するだろうと思って,ガスバーナーの有無を聞いてみたが無いという。もう間に合わないので,しかたなくこの金属棒と熱源にはアルコールランプを使うしかない。ぶっつけ本番で実施した。蝋燭をレール上に数本立てて,端をアルコールランプで加熱したが,蝋燭はなかなかとけない。時間がかかるので途中でやめた。加えた熱は伝導より放散の方が大きくて金属棒中にあまり伝わらなかったのだ。
実験がうまくゆかなかったが,私がショックだったのは,参加者がその理由を考えようとしないことだった。失敗の理由を考えることが科学的態度なのだ。ただ私が失敗したのを,参加者の皆さんは,「Dr. Shimojoが失敗した」と喜ぶだけだった。この失敗(時間のかかりすぎ)の理由がわかるには,エネルギーの保存,エネルギーの伝達(対流,伝導,輻射)などの概念がわかっていなければならないし,実験は条件を整えなければ失敗もあることを知っていなければならない。ここに教材研究の意義がある。
このことから,パキスタンの先生方は,実験の経験がないことが推測される。この改善には理科教育に関する教師養成のシステム的な面の改善を図らなければならないと思う。科学的知識や概念は,自然を観察したり自然に働きかけたり(実験)して,知識を得たり確かめたりする方法と共に学ばなければ,知識自体の獲得のみならずその活用や科学的態度が身につかないと考えられる。板書だけから学んだ知識と,実験を交えて学んだ知識とでは,概念形成の深さが違うだろう。したがって,子供や教師に科学の世界を知ってもらうためには,どうしても観察や実験を経験させなければならない。
したがって,途上国では,予算や資源に制約があるので,まず,できるだけ日常生活の中で身近に入手できるものを利用して観察・実験に取り組まなければならない。教材研究は身近な素材を利用することが重要なのだ。そして,中等教育の場合には,実験の条件をより精密に設定しやすくなるように,国の発展とともにそれらをより科学的な器具に置き換えてゆくのがよいと思う。なお,私は事前に参加者の基礎知識のレベルをチェックしておくべきであった。私は,「うまくゆかなかった理由を考えてみて下さい」と話しかけたが,どれだけ,私の意図が通じただろうか?
ここに途上国特有の問題がある。日本も昔(明治期)にはそうだったと思う。このことは,構造的問題である。初等中等教育段階で十分に観察・実験を体験させたり,理科の教師養成において十分に基礎実験を体験させたり,中心的な人物を先進国に留学させて十分に基礎実験を体験させたりして,理科教育に対する考え方を改めなければならない。特に,小・中学・高等学校段階における観察・実験は,児童・生徒ひいては国民の科学的マインドの形成や教員の資質向上にとっても重要である。また,当地における教材会社を育てたり,教材購入の予算を確保することも必要だ。理科教科書も知識の詰込みでばかりはなく,観察・実験も載せるようにしなければならない。理科室の設置や器具の整備も必要だ。現実的には観察・実験が得意な教員を各校に1人,核となる人物として配置することや,指導者養成,現職教員教育も必要だ。他に教員の基礎知識の拡充,理科教育を振興する法律つくり,教員養成機関における理科教育研究の振興も求められる。このように,課題は広範にわたり,真に求められるのは,総合力であると思う。別稿で述べるインドネシア共和国における国際教育協力(IMSTEP)がまさに,そのような総合的な支援であった。
ところで,上に述べた熱伝導の実験では,適切な細さの金属棒や強い熱源がいる。今はどうか知らないが,当時,パキスタンには教材会社が無いようだった。学校では実験はほとんどやっていないようだった。日本では数mmの太さの金属棒が教材会社からすぐ入手できる。しかも,銅,アルミ,鉄などいろいろな材質の金属棒が手に入る。しかもそれらは,適度な太さと長さになっている。また,学校の理科室ではガスバーナーが使える。私はつくずく,日本はいいなあと思った。
ある夜,教育大臣も参加して数名の教育省のかたとの話し合いに同席した。ものすごいスピードの議論だ。パキスタンの教育事情をよく知らなかったせいもあるが,私は話についてゆけず 「Dr shimojoはなぜだまっているのか」と言われた。英語は,英国の植民地であったのでペラペラで,私は圧倒された。
パキスタン滞在中に教育省の日本の青山学院大に留学経験のある職員の方に世話になった。
その方が夜,お祭りに連れて行ってくれたが,街灯が無いので真っ暗だ。暗闇の中で,焚火に照らされて,5, 6名の白っぽい民族衣装に身を包んだ戦士が円陣を組んで剣を振りかざして踊る「剣の舞」を見た。まことに幻想的であった。
休日に遠足(excursion)が組まれた。教育省の途中で止まってしまわないか心配になるほど旧いバスで参加者一同とイスラバードから北の方へ向かった。
古都,タキシラは落ち着いた明るい良い町の印象であった。そこのパキスタン自然史博物館(Pakistan Museum of Natural History)に行ったが,そこでは,ギリシャの影響を受けたガンダーラ様式の仏像が何体も陳列され,高校の世界史の教科書で見たものに似ていて,私は興奮を覚えた。途中,チグリス・ユーフラテス河を見たときも,歴史上有名な河であるので,感激した。ただ,モヘンジョダロはゆかなかった。
ダムと発電所にも行った。辺りは低い灰色の山が連なっていて,そこを流れる大きな川に大量の石を積み上げた巨大なダム(Tarbella Dam)があった。発電所も併置されていた。カナダから技術者らしい方々も視察にきていた。私が写真を撮ろうとすると,禁止だと教えてくれた。この発電所はパキスタンの電力のかなりの部分を賄っているとのことであった。ダムや発電所は日本(東芝)の協力でつくられた。大きな変圧器はシーメンス製であった。我々は,高速で回転している発電機のすぐ傍まで案内された。参加者は「これは日本の支援でできた」と口々に言い,私は誇らしく思った。
場所はもうわからないが,かなり北の方の山の交易所にいった。かなり高い山の峰に店がたくさん並んでいる。そこで茶を飲み,毛皮の帽子を買った。
パキスタンには仏教遺跡もある。砂岩でできた小さな山に穴がいくつもあいている。かって仏教の修行僧がそこで生活していたらしい。私が仏教徒であると知って,わざわざその遺蹟を選んでくれたらしい。その名称も忘却の彼方だ。
この遠足の経験は,私がパキスタンのかなり広い地域や文化を観察できたよい機会であった。
パキスタンで業務を終えた後,我々はタイのバンコクのユネスコ地域事務所に立ち寄ってDale氏と報告書を作成し提出し,一泊して日本に戻ってきた。タイでは,お土産屋に寄ったが,そこのお店のおかみさんが、「宝石はいかが」という。タイはルビーやサファイヤがよく売られている。私は、3年前にタイ国に1年赴任していたから、その時に買ったものがあるので,「宝石はもう持ってるからいりませんよ」と言ったら、おかみさんいわく「腐るからもう一つ買いなさいよ」。Dale先生と共に大笑いした。
パキスタンとはその後もいくつかつながりがあった。研修をサポートしていた教育省の職員の方は,その数年後東学大で開催された「UNESCO アジア教育セミナー」に参加され,私は彼と同セミナーで再会した。帰路,早朝に吉祥寺のホテルを出発して,成田空港まで私の自家用車でお送りした。また,私の教授時代に,パキスタンから博士課程の学生としてNasirさんがきた。私は彼の副指導教員であったが,彼は研究の相談にしばしば私の研究室にきた。彼は,帰国後,日本での経験を生かした私立学校つくりをしたいと言っていた。いろいろなところで,パキスタンとも思わぬつながりができるものである。
パキスタン北部はカラコルム山脈がある。そこにエベレストに次ぐ高さ(8611m)のK2という高山がある。日本人写真家によるK2の写真を掲載した立派な大版の書籍(英文)が,パキスタンの空港やホテルで売られていた。ただ当時は,北部は民族紛争があるのでゆくのは危険であるということも聞いたように思う。平和ならば,すばらしい観光資源のある国であると思った。
後に私は穏健なイスラム国家とされるインドネシア共和国にも永くかかわることになるのであるが,パキスタンはその前に,人生で初めて本格的なイスラム国家を知る機会となった。私は,パキスタンの美しい自然,豊富な遺跡,長い歴史,なによりも人々の精神的な生き様に感動した。私の人生で最も影響を受けた国の一つである。
【参考文献】
Leslie G. Dale and Takashi Shimojo: Report of Mobile Team in Science Education, National Workshop on Improving the Competencies of Teachers in Teaching Science at Secondary Level, 7-25 April 1985, Curriculum Wing, Ministry of Education, Islamabad, Pakistan, (UNESCO-APEID), May 1st 1985.
下條隆嗣:科学教育巡回講師団-パキスタン実施報告,APEID分科会(第6回)資料,1985年5月.
多分,砦(Fort)の写真であると思う。
パキスタンにて(左からDale博士,中学校の理科の先生,筆者)
パキスタンの山中にて
2020年3月記