パソコンによる断熱不変量のシミュレーション:単振子の引き上げ」における糸の長さの関数形
単振子をはじめゆっくり,次第に早く,最後はまたゆっくりと引き上げると,近似的に保存される量「断熱不変量」がある。これをシミュレーションするプログラムを昔,開発した。断熱不変量はカオス力学を学ぶ上で重要な概念の一つであるが,その意義やこのプログラムについては,拙著(下記文献1))や筆者らの論文(下記文献2))を参照されたい。
このプログラムについては,私の著書「カオス力学入門」にも紹介してある。この本はまだ販売されているようであるし,また,元の論文(下記文献1)もネットで公開されているようだ。今でもこれらの文献を見て下さる方がおられるようなので,振り子の糸の長さの時間変化を与える関数形などについて,一言書いておきたい。
それは,筆者が若いころであるが,PC(当時はマイクロ・コンピユータと呼ばれていた)が発達し始めたころで,筆者も物理教育研究の一環として,PCを活用した物理現象のシミュレーションを開発したりしていた。イタリアで開催された物理教育国際会議で,東学大の三島信彦先生らと共著で,粒子の沈降やカッツのリング・モデルのシミュレーションなどについて発表したこともある(1980)。その時は,筆者がイタリアのトリエステまで出向いた。そこで,ブラジルの研究者から,“Your works are very sophisticated.”とお褒めの言葉を頂いた。
そのころ,朝永振一郎先生の名著「量子力学Ⅰ」の初めの方に,断熱不変量についての解説があるのを知った(下記文献3))。その巻末附録には,数式が数頁にわたり書かかれているが分かりづらいと思った。そこで,PCによるシミュレーションによって直感的に分かりやすくなるのではないかと考えて,プログラムつくりに取り組んだ。これについては。日本(上智大)で開催した同学会(1986)で,筆者がこれを発表したところ,会場でハンガリーの参加者からブタペストで開催する物理教育の国際会議をカオスをメインテーマにして開催したいので来てくれという誘いを受けたこともあった。ただ,都合がつかず参加できなかった。
このシミュレーションにおいては,単振子の糸の長さの時間変化を,始めゆっくり→次第に早く→次第に遅く→終わりはゆっくりと,スムーズに引き上げなければならない。早く引き上げてもゆっくり引き上げても使える関数形を与えることが重要である。これは台形型に近いが,台形型はスムーズではない。地形に例えれば,坂道が緩やかに始まり,次第に勾配がきつくなり,そして上り詰めたところで平らになり,次にまた勾配がきつい下りとなり,最後にゆるやかに平地に戻るような変化である。これらの点を満たす関数形が必要になる。
プログラムをつくる際に,糸の長さの関数形をいろいろ自分で考えてみたが,どうもしっくりくるものがない。そこで,このような関数形を捜していたところ,はっきりとは覚えていないのだが,ある本の中に,素粒子間の相互作用が時間的に次第に強まり,そして弱まってゆく関数形があったのをふと思い出し,それを使わせて頂いたのであったと思う。その関数形を使って,糸の長さL(t)をL(t)=L0{1+exp(at)}/{1+Aexp(at)} としたのである(L0 は初めの糸の長さ)。
35年位前のことなので,はっきりとは覚えていなのであるが,その関数は確かSchweberの著書 “An Introduction to Relativistic Quantum Field Theory”(下記文献4)の前の方にあったと思う。この本は,筆者が学大物理の大学院生(修士課程)であった時に,花輪重雄先生の「量子力学特論」の輪講を受けたのだが,そこで用いた教科書であった。
この関数形をもちいたシミュレーションの結果,振子を振らせながらゆっくり引き上げると,断熱不変量は途中細かに波打ちながら,引き上げの前後で保存する。急に引き上げると,前後で保存せず,非断熱変化となることが,直感的に分かるようになった。
著書「カオス力学入門」や論文(下記文献2)では、紙数を節約するためと、参考文献に揚げるほどのことでもないと思って,その関数形の出所は明らかにしていなかった。この関数形が,このシミュレーションに大切な役割を果たしているので,その出典を記さなかったことを,今となって反省している。先日,自宅にしまい込んであった手垢で汚れたSchweberの本を探し出し,その関数の出所を探してみたが,まだ見つかっていない(索引にも無かった)。見つかり次第,お知らせしたい。
拙著や筆者らの論文では,シミュレーションの結果はカタカナ表記になっている。それは,今では想像もつかないことだが,当時(35年前)ではパソコンでまだ「ひらがな」が使えない時代であったためである(NEC社製のPC9800を使った)。
また,プログラム作りにおいては,振り子の軌跡をできるだけ正確に得るために,振り子が最も両側にふれた時の位置がきちんと記録されるように,数値計算(倍精度ルンゲクッタ法)において,かなり細かく時間刻みを取らなければならないことに注意した。
「単振子の引き上げ」の応用として,束縛電子が励起されて新しい軌道にジャンプする様子のシミュレーションも行った(下記文献5)。このプログラムは,高校生の探究活動や大学生の量子力学入門でもお役に立てると思う。また。カオス力学においても,断熱不変量はキー・コンセプトの一つである。
【参考】
1) 下條隆嗣著:シミュレーション物理学6 「カオスカ学入門-古典力学からカオス力学へ-」,近代科学社, 初版1992年
2)下條隆嗣・小田切淳一:断熱不変量についてのマイクロ・コンピュ-タ-によるシミュレ-ション(Ⅰ)-単振子の引き上げ-, 物理教育 33(1), 31-35,1985.
3) 朝永振一郎:「量子力学Ⅰ」,みすず書房,1964
4) Schweber, S. S.:“An Introduction to Relativistic Quantum Field Theory”, A Harper International Edition 1966.
5) 下條隆嗣・小田切淳一:断熱不変量についてのマイクロ・コンピュ-タ-によるシミュレーション-束縛電子と重い荷電粒子の衝突-,物理教育 33(4), 289-292,1985.
2020年2月記