竹中生徒会誌「潮」2006

ケニア訪問記

校長  下條隆嗣

仕事でこれまで北米,ヨーロッパ,アジアのいろいろな国を訪問したが,昨年(平成17年)12月12日~18日まで,初めてアフリカのケニアを広島大学教育開発国際協力研究センターの教授二人と共に訪問した。この時の体験談は,全校集会で「土産話」として披露したが,多少追記してここに記させて頂く。

今回の出張の仕事は,広島大学とケニアのケニヤッタ大学が合同で開催する小さな会議(ワークショップ)への参加であった。これは,日本の国際協力機構が実施している発展途上国の理数科教育の改善事業について,教室レベルの効果をはかる評価法を検討するもので,日本,ケニア,ガーナ,南アフリカ,フィリッピン,インドネシアから関係者が集まって催された。私は,インドネシアに長年関わってきた関係で,インドネシア・チームの一員として参加した。

英国航空で,成田から北極圏上空回りで,まずロンドンのヒースロー空港についた。これに12時間半。ここで数時間待って,ケニア航空でアフリカのナイロビへ向かった。ヒースローから英国南東部,フランス,イタリア,エチオピア上空を過ぎて,ケニアの首都ナイロビへ朝6時頃到着した。これが8時間半。成田からナイロビまで,飛行機の搭乗時間の合計は21時間。さすがに長旅で疲れた。空港から会議場のあるホテルまで車で移動中に,朝七時頃でちょうど出勤時間帯であろうか,大勢のこざっぱりとした身なりの大人が道路をぞろぞろ歩いている姿を見た(公共輸送機関が少ないようだ)。車はかなり走っているが,かつてのアジアの途上国で見られたような自転車の洪水もバスのひしめき合いも見られない。このことからも,この国の経済発展状態が伺える。

ケニアはアフリカ東部の中央部にある。有名なキリマンジャロ山(標高585m)は,山頂はケニアの南隣のタンザニアにあるが,裾野は両国に広がっている。良いお茶がケニアの輸出品と聞いた。ナイロビは東アフリカの玄関口で,高層ビルも林立する町である。ヨーロッパ風の美しい町並みもあちこちに見られるが,夜の治安はよくない。

ケニアでは,かって英領植民地であったこともあり,スワヒリ語と英語(公用語)が使われている。スワヒリ語はおもしろい言葉で,Nから始まる単語もあり,母音をはっきり発音する。私は,ナイロビでは英語がとても聞き取りやすく感じたが,母音をはっきり発音するせいかもしれない。

到着して一日たって,当地の気候のすばらしさに気づいた。当地は海抜1700m近くの高原地帯で,大気も乾燥していて爽やかである。気温も昼が二十数度,夜は十数度で,まるで夏の軽井沢にいるような感じである。ここの平均気温は一年中,15度から20度の間であるという。これも「ごちそう」だ。空気も澄んで,標高が高く赤道に近い(赤道から140km南)せいか,強烈な太陽の輝きがまぶしい。ホテルの窓から見える日本の新緑のような木の葉の色のあざやかさに心が和む。

会議は3日間行われた。真ん中の日に,少し早めに会議を終わり,校外にあるアニマル・オーファネージ(動物の孤児を引き取って育てる施設)を見学した。ピューマを近くで見て,その美しさに見とれた。ここでは,園の係員の誘導により,入園者が柵の中に入ってピューマの頭をなでることができる。私は,水の入ったペットボトルなどを入れておいた黒いビニール袋をブラブラさせていたので,係員からピューマが飛びかかる恐れがあるから柵内へ入ることをとがめられ,気勢をそがれて柵内には入らなかった。係員の話では,餌の肉が1kgで200円くらいするので,飼育にお金がかかって施設の維持が大変であるという。その後,夕刻,オフィシャル・ウェルカム・パーティとして,別の場所のレストランへ移動した。そこでは,山羊(ゴート)肉を頂いた。私にとって,この経験は初めてであった。ケニアでは,山羊肉は「おめでた」の時しか食さないという。まず山羊のゆでて小さく刻んだ内蔵を手でつまんで食べる。薄い塩味だけで,においや臭みもなく,おいしい。次に山羊肉の焼き肉がでてきた。これも薄い塩味である。

会議は16日夜に終わり,この2月末日までに英語の論文作成が宿題として残された。翌日,各国チームはそれぞれ帰途についたが,日本チームは,ロンドン行きの飛行機が夜中の午前0時頃出発ということで,一日空いた。日本に帰国すると,なかなか論文を作る時間も無いので,翌日はホテルに閉じこもって原稿を書こうかなと思っていたところ,その夜,広大の先生方から,「せっかく初めてアフリカへきたのだから,一日で往復できるナクル国立公園へ行ってみましょう」とお誘いを受けた。広大の先生は,以前アフリカに仕事で何回もいらしたことがあり,ケニアについてもお詳しかった。その公園までは片道,車で3時間くらいという。水牛が何百頭も一緒に原野を疾走するような迫力のある風景が見られる本格的なサファリは,3日以上かけてケニア南部の大きな国立公園に行かないと無理であるが,ナクルには湖があって,フラミンゴの大群が見られるという。ただしナクルにはライオンはいない。しかし,キリンやサイなどはいる。広大の先生方は,過去にそこへ行ったことはあった。またナイロビからナクルへの途中で,「大地溝帯」が見られるとおっしゃるので,二つ返事で「お願いします。連れて行って下さい」と言ってしまった。私はどうしても大地溝帯を見たかったからだ。地溝帯は大地の裂け目で,アフリカ大陸には東部に南北にわたり二つ,巨大な地溝帯がある(総延長7000km)。

翌朝八時,チャーターした車でいよいよナクルへ出発した。車(トヨタ)は屋根が空いて体を乗り出して外が見られるように,サファリ用になっている。ケニア人の運転手さんが動物の解説もする。運転手さんが誰かに頼まれて中学校一年生位のケニア人の少年を一人つれてきて,ナクルに同行した。ダンカンという名のおとなしい少年である。

ナイロビを出発して途中までは良い道路を進んだ。道の両側の緑も結構多い。そしてついに,途中高い崖の上から「大地溝帯」を見た。それは,幅数十kmの幅の広い谷のような地形で,中央部は砂漠のように見えた。その中に,美しい円錐形の休火山も見える。地溝帯内にはマサイ族も住んでいるらしい。土産売りが近づいてきた。挨拶は「ジャンボ」(「ハロー」の意味)。黒い木彫品を売っている。ここで,ダンカン君と一緒に写真を撮った。

また車にのり,途中から舗装はしてあるが,傷んでものすごいガタガタ道を一時間ほどゆく。ナクルに近づくと幹が緑色の木が目立ち始めた。車が公園に入ってまばらな林を抜け,しばらくすると視界が開けて湖が見えてきた。ふと空を見上げると,大きな鳥が二十羽くらい悠然と飛んでいる。これはペリカンであった。まるで,映画のジェラッシック・パーク,太古の世界に紛れ込んだような不思議な感情に飲み込まれた。まるで映画を見るようだった。

草原では木陰に休んでいるサイや,ピョンピョン跳ねながら走るガゼルの群れもみた。林の中では,かなり近くで数頭からなるキリンの家族に出会った。我々が危険でないのかいぶかしそうな表情でじっとこちらを見ている。動物園で見るのと違って,自然の中で見るキリンは実に美しく,またいきいきと見える。

湖の岸辺近くには数え切れない数のフラミンゴが羽を休めている。後で高い丘から見下ろしたら,大きな湖の縁が,全てピンクと白に染まっている。ピンクはフラミンゴのつくる色だ。白は岸辺にある塩のようなものの色である(それが何か,その後まだ確かめていない。また。これだけフラミンゴがいると,岸辺の糞のにおいも強烈で,数km離れていても風にのってにおいが運ばれてくる。

湖を離れ,小高い丘のホテルへ昼食に向かう。途中,緑色の幹の木の林の中を進む。おとぎの国にいるような錯覚に捕らわれる。日本にいると「幹は茶色か灰色」という「常識」ができているせいか,頭がおかしくなるような気になる。いかに我々は,普段,常識にとらわれているかを悟らされた。

今回の訪問で私はすっかりアフリカひいきになった。一生の間に本格的なサファリにも行きたくなった。しかし,またアフリカを訪問する機会が訪れるだろうか。ダンカン君,さようなら。人なつっこいケニアの人人,さようなら。アフリカの大地よ,さようなら。

〔後日談〕

私が校長の任期が終わり竹中を去るとき,生徒の一人が朝礼で,かつて朝礼で私がしたこの話が印象に残っていると語ってくれた。また,アフリカから帰国後,日本でも青い幹を持つ木があることを,東学大のキャンパス内にあったキリの木を見て知った。

 

 

【写真】アニマル・オーファネージにて:豹にさわる

 

 

【写真】地溝帯遠景

 

 

 

【写真】地溝帯遠景

 

 

 

 

【写真】地溝帯遠景

 

【写真】ナクル国立公園にて

 

 

【写真】ナクル国立公園にて

 

 

 

 

【写真】湖畔に集うフラミンゴの群れ

 

 

【写真】ワークショップ風景