〔生徒会誌「潮」2008〕

新しい生き方-白秋歌碑を見て思う

学校長 下條隆嗣

昨年の年末に休養のために岐阜県恵那市にある恵那峡を訪れた。恵那峡ダムの近くにある「さざなみ公園」で北原白秋の歌碑に出会った。

薄のにしろくかほそく立つ煙

あわれなれとも消すよしもなし

「ススキの野原にうつすら細い煙が立っている。きっと火がついているのだろう。ススキが燃えてしまつてかわいそうだが,消すこともできずどうしようもない」という意味であろうか。

白秋は幾度となくこの地を訪れたようだが,この歌を詠んだのは,ダムができる前かできた後かはわからない。ダムができる前はきっと川岸のあちこちにたくさんのススキ野が広がっていたのであろう。しかし今の満々と水をたたえた川の川辺にも枯れたススキの群落が小規模ながら点在している。

私はこの歌に出会って胸がキュンとなったが,それは白秋の自然への愛情,自然との共感の気持ちに共鳴したからに他ならない。このような思いは,「徒然草」をはじめ日本の様々な文学作品に見えるが,特に日本人に強いものではないかと思う。

一方,日本人に薄い「こころ」あるいは精神は「挑戦」であるように思う。勿論日本人のなかにも挑戦する人々は数多くいるが,これは文化としてみたときの全体としての話である。この精神が世界で最も強いのが米国であると思う。米国のワシントンD.Cにある世界最大と言われるスミソニアン博物館を訪れたことがあるが,そこで,世界初のコンビユータ(エニアック)や宇宙開発のスぺース•シャトルの展示などを見ると,米国の「フロンティア•スピリッツ」に圧倒される思いになる。この精神はアメリカの文化の基底にあるものであり,これが「挑戦」の精神に他ならない。

この精神は特に科学•技術面で面目躍如であるが,研究•開発の世界ばかりでなく,教育の世界でも同様である。以前,ある米国人から,「米国では,新しい理念に基づいた教育が次々に出される。互いに競い合うのだ。停滞は許されない。」という内容の話を聞いたことがあるが,これも「フロンティア•スピリッツ」の発露の結果ではないかと思う。この精神のもとに,失敗しても再起を促し,失敗を恐れない文化が生まれたのであろう。日本の文化は失敗を許さず,恥じる面が強く,これが挑戦を困難にしている文化的な要因でもあると思う。この点ではアメリ力社会の文化的背景に羨望の感を禁じ得ない。

本年I月に,石油の埋蔵量があと60数年であることが報道されたが,衝撃を受けた人も多いに違いない。石油に依存した文明がここ数十年と続いてきた。先進国にも発展途上国にもガソリンを使う自動車がたくさん走っている。果たして,こうした状況が60数年ばかりの間で変わることができるのであろうか。例えば,60数年で石油社会から水素社会へ完全に転換できるのであろうか。

この石油資源の不足と同時進行の課題に地球温暖化への対応があり,どちらも地球規模の課題である。後者は国際的な議論や対策の枠組みも作られつつあるが,前者については転換のプロセスも国際機関や各国政府でまだ具体的に検討されていないように見受けられる。

こうした困難は,さまざまな研究,発見・発明・技術的突破(ブレイク•スルー),国際協力の総体が救うことになると思う。科学技術に限れば,乾燥に強い植物を研究して砂漠を緑化し炭酸ガスを固定する,優れた性能の水素吸蔵合金をつくって水素自動車を実用化する,水素の大量発生の方法を開発する,地熱・風力・波力発電を盛んにする,家屋の屋根やビルの壁が太陽光で発電できるようにする,核分裂反応を用いる原子力発電にかわって太陽の内部で起こっている核融合反応による発電を実用化する,などなど大小さまざまな科学技術開発が考えられる。すなわち,困難に立ち向かう挑戦が大切だ。しかし,科学技術や経済の 無謀な発展もあリ得る。それにブレーキを加えるのは,高度な判断力や人間愛であり,いわば教養であると言うことをいつも思い出して欲しい。

六十年後の世界は,生きることが非常に困難な時代なのか,あるいは希望に満ちた時代なのか。ともかく,新しい生き方が求められつつあると思う。それは,第1に,地球規模の環境保全やHネルギー資源の有限性を意識し,世界規模の困難を克服しようとする人類の活動を支える文明の構築であり,文化の向上であり,生活の実践であろう。

これらを支えるのは,自然や人類への愛や挑戦の精神ではないのか。生徒諸君に,これからの人生を歩むに当たって,一番失ってもらいたくないものは,これらの「こころ」や精神である。環境を大切にして美しい地球をつくろう,人々が幸せに暮らせる平和な世界をつくろう,などの高い志と共に,「自然を愛するこころ」と「挑戦の精神」をもつことは,新しい生き方の原点であると思う。