ブログを始めるに当って

私は,東学大の教員生活を送っておりましたが,2008年3月末に定年退職しました。その後,東学大やICU(国際基督教大)の非常勤講師,JST(科学技術振興機構),国立科学博物館などの公的機関の委員などを少し続けておりました。

2018年3月末で定年退職後十年を経過しました。この間,続けたかった研究・活動・執筆など沢山ありましたが,退職前から患っていた慢性腎臓病が徐徐に悪化し,体力・気力の衰えと視力の減退もあいまって,やり残した仕事をするのは無理でした。こうしてあっという間に十年以上の歳月が過ぎ去りました。

慢性腎臓病も次第に悪化し,2018年2月にはついに倒れ,翌3月からは人工透析生活に入りました。これを契機に,以後,一切の仕事から離れて静養に努めることにしました。

本年(2020年)3月には,透析生活も3年目に入りましたが,最近少しばかり元気が戻ってきまして,何か新しいことを始めたくなってきました。そこで,老いのなぐさみに,ブログを始めることにしました。77歳でのブログ・デビューです。いつまで続けられるかはわかりませんが・・・。

まずは,過去の振り返りと現状(闘病生活)についてのブログから始めたいと思います。その後,少しずつ話題を広げてゆきたいと思っています。もはや記憶も定かでなく,記憶に残っていることやエピソードなども,正確さを欠いていたり,間違いもあると思いますがご容赦願いたいと思います。不思議と旅のエピソードだけは比較的よく覚えています。しかし,多くの写真も紛失してしまいました。また,ブログを書いていると,芋ずる式に,いろいろなことが思い出されることがありますが,そうした場合には追記や書き直しをしたいと思います。

ブログは,「慢性腎臓病闘病記」「東学大の教員時代」「科学・科学教育」「国際教育協力」「一般」「理科教育覚書」のカテゴリーに分けてあります。

カテゴリー「慢性腎臓病闘病記」は,患者の立場から人工透析(血液透析)生活の実際を述べています。今後,人工透析を予定されておられる方々に少しでもご参考になればと思います。これは,シリーズで追記しています。特にシリーズの初めのブログ「慢性腎臓病闘病記(1)-高血圧治療から透析生活に至る10年間」には,腎臓病の悪化を示すクレアチニン値などの指標の変遷を示すグラフを付けてあります。透析生活に入る直前には,腎臓病が急に進行しだしてクレアチニン値が急速に増加した様子がわかります。

カテゴリー「東学大の教員時代」内には,さらに「学芸大学の思い出」「附属竹早中学校の思い出」「国際交流」などのサブカテゴリを設けてあります。

カテゴリー「科学・科学教育」内には,さらに「私の主な著作」「物理教育」などのサブカテゴリを設けてあります。

カテゴリー「国際教育協力」内では,在職中に,理科教育に関連し,文部省(文部科学省)からの要請で,タイ,パキスタン,インドネシアなどにおける国際教育協力(9年間関与)に携わってきました。これらの業務の簡単な紹介や,現地の生活などのエピソードを書きます。

カテゴリー「一般」内には「教育」「雑記」などのサブカテゴリを設けてあります。

カテゴリー「理科教育覚書」には,サブカテゴリーとして,「理科カリキュラムな」「理科教育」があります。

次に,各カテゴリーやサブ・カテゴリー内のブログのいくつかについて簡単にご紹介します。詳しくは,「ブログ 目次」をご覧下さい。

【慢性腎臓病闘病記】

慢性腎臓病が少しずつ悪化し,いずれ透析になると医師から告げられた時,私自身も人工透析とはどのようなものか,その経費のこととか,また透析を回避する腎臓移植のことなど,不安に思ったことが多かった。これから透析を予定しておられる方々に,少しでもご参考になればと思い書くことにしました。

また,腎臓は人体の中で最も複雑な臓器であるがために,慢性腎臓病は良くなることはないことを後に知って愕然としました。若いときからそういう知識があったなら,食事管理や体調管理ももっときちんとして,もっと定年後の楽しい人生があったのではないかと思うと残念でなりません。私のこの手記が皆さまのお役に立つならば幸いです。手記は,(1)から順次追記してゆきます。とりあえず,ここでは(3)まで紹介します。

「慢性腎臓病闘病記 (1)-高血圧治療から透析生活に至るまでの10年」

慢性腎臓病にかかり,人工透析治療を開始するまでのいわゆる保存期における10年間においては,治療は主に血圧を下げることと食事療法によるものであったと思います。その顛末について書きます。

内容は,1 高血圧から慢性腎臓病へ,2 慢性腎臓病の症状と当時の体調,3 検査と治療,4 血圧管理と食事療法の10年,5 私の体調管理法-パソコンの活用,6 食品の成分調べ,7 玉ネギ酢とサプリ,8 運動-メタボ予防運動と長距離散歩・低山ハイキング,9 腎機能の「緩慢な悪化モード」から「急速悪化モード」への転換-透析食に耐えた2年間,10 途中で挫折した生体腎移植,11 シャントの設置と透析導入基準,12 障害者申請と人工透析の経費,13 倒れてハイケア・ユニットへ-総合病院での透析開始,などです。

「慢性腎臓病闘病記(2)-人工透析生活の実際」

人工透析(血液透析)生活とはどのようなものか,より具体的な話を書くことにします。

内容は,14 透析生活に入る―透析生活の概略,15 透析時間の過ごし方,16 ドライウェイトと食塩・水分,17 透析中に起こること,18 透析生活に入ってからの体調管理法,19 食事・飲水の管理-塩分・カリウム・リンの摂取,20 体重と血圧,21 検査・服薬,22 サプリなど,23 尿量と除水量,24 透析期間内の血液検査結果の変遷,25 心房細動,26 血管拡張手術,27 薬の副作用による発赤,28 運動・長距離散歩・ハイキング,29 ストレスの取り方,30 血管狭窄の再検査と再拡張手術,31 保険証等の変更(後期高齢者),32 緊急時の対応,33 透析開始から2年経過して,34 慢性腎臓病治療の未来に期待すること,などです。

「慢性腎臓病闘病記(3)-回復へのかすかな期待

透析専門のクリニックで血液人工透析を受けるようになって透析生活に入った2018年3/6から2020年8/4までの 約2年半の間のクレアチニンCrと血液尿素窒素BUNの値をグラフ化してみたところ,これらの値が下がり始め,腎機能の改善が少しばかり認められるように思われるようになった。本ブログでは,主にこのことを記します。

35 新型コロナ蔓延下の透析生活,36 回復へのかすかな希望-クレアチニン値と尿素窒素値の改善,37 新しい治療研究の動き-2つのニュース,38 血液検査結果(Cr, BUN)の変遷-データの追加

 【東学大の教員時代】内の【学芸大学の思い出】

東京学芸大学の物理学教室,理科教育教室に奉職した過去を振り返ります。「物理学から理科教育学への転進」「恩師をしのぶ 後藤捨男先生」「東京学芸大学の理科教育学教室-創生期の苦しみ」「私の大学教員生活」などについて書きます。

【東学大の教員時代】内の【附属竹早中学校の思い出】

私は,平成16年(2004年)4月から平成20年(2008年)3月までの4年間,東京学芸大学附属竹早中学校の校長に赴任していました。同校の生徒会誌などに寄稿した原稿(少し手直ししたものもあります。また,もう号数や出版年がはっきりしないものもあります)などをのせています。「新しい生き方-白秋歌碑を見て思う」「ケニア訪問記」「附属竹早中学校としてのキャリア教育」「『学習意欲』と『目標』の持ち方」「これからの時代に生きる力」「『和の精神』と教育」などです。

【国際教育協力】

タイ国理科教育推進協力事業(コロンボプラン,1年間),パキスタン理科教育巡回講師団,インドネシア初等中等理数科教育改善事業(IMSTEP)へ参加した体験談をエピソードを交えて書きます。IMSTEPは9年間も関わった案件でした。

【科学・科学教育】内の【物理教育】

「物理教育」誌に掲載した論文「下條隆嗣・小田切淳一, 断熱不変量についてのマイクロ・コンピュ-タ-によるシミュレ-ション(Ⅰ)-単振子の引き上げ-, 物理教育  33(1), 31-35,1985,日本物理教育学会」や拙著「カオス力学入門,近代科学社,1992」に紹介した単振子の引き上げにおける断熱不変量(adiabatic invariant)の保存や非保存についてのパソコン・シミュレーションについて,開発のいきさつや単振子を引き上げるときの糸の長さの関数形について述べます。

【科学・科学教育】内の【私の主な著作物】

私がかなりエネルギーを費やした翻訳や主な著作について,出版までのいきさつやエピソードを書きます。「カオス力学入門-古典力学からカオス力学へ」「プラズマ物理学の基礎」「小学校理科教育法」などの著作や翻訳についてのエピソードを書きます。

 【一般】内の【雑記】

日常,驚いたこと,感じたこと,印象に残ったこと,不思議な夢などを随想にしました。

 【理科教育覚書】内の「理科カリキュラム研究」

サブカテゴリーの「理科カリキュラム研究」では,理科教育に御関心をお持ちの方へ御参考になればと思いまして,理科教育,特に,そのカリキュラム開発に関連することをしたためました。これらは,筆者の在職中に学部の授業科目「理科カリキュラム研究」で用いた資料(講義用の配布資料)を添付したものです。

写真について

各ブログには,写真を載せるようにしますが,自宅の書斎を少しずつ片付け中ですので,写真が見つかり次第,公開済のブログに張り付けて行こうと思っておりますので,同じブログでも,時々ご覧いただければ幸いです。

2020年3月