千葉県いすみ市中原の不思議な神社-天道・皇道・人道三道の起点
三道とは,「天道の道」「皇道の道」「人の道」のことである。千葉県いすみ市中原にある小さな神社がこの三道の起点になっているという。このことは下のほうで述べるが,その前に,当神社がある地方・地域の簡単な(大まかな)紹介をしておきたい。
縁あって,しばしば,千葉県いすみ市を訪れているが,そこは,外房の中部に位置する。
海岸にそって国道128号線とJR外房線が走っている。
九十九里浜の南方の「茂原」の近くの海際には白子温泉があり,ヨードを含む金色の湯の温泉が有名だ。北から続いてきた九十九里浜が終わるあたりの「上総一ノ宮」「東浪見」近くの釣ヶ崎海岸は,オリンピックのサーフィン会場に予定されていて,多くのサーファーが訪れる場所である。ちなみにサーファーは,九十九里浜の続きではないが,ここより南の「御宿」にもたくさん訪れている。
「上総一ノ宮」「東浪見」から国道沿いに少し南へ下ると,「御宿」へゆく途中に「大原」がある。「大原」へは,「いすみ鉄道」が内陸の養老渓谷近くの「上総中野」から伸びている。大原漁港の朝市が有名だ。この辺の海岸は岩礁が多いためか,イセエビがよく採れるという。朝市でも「イセエビ焼き」を食べることができる。とてもおいしい。また,もちろん,外房は漁港も多いので,魚がおいしい。
いすみ市岬町の太東岬近くの寺には,葛飾北斎が,代表作とされる浮世絵「富岳三十六景 神奈川沖浪裏」を描くとき,波の姿を参考にしたという房総の名工「波の伊八」が彫った彫刻が欄干にかざられているところがある。この浮世絵は,絵の中央に雪を頂く富士を小さく描き,前面に泡立つ生き物のような大きな波浪が,波間に漂う小さな子船を飲みこもうとするがのごとき青と白(船は茶色)を基調とした有名な浮世絵だ。
波を彫らしたら右に並ぶものはいないと言われていたという波の伊八の彫刻は,この地域のいくつかの寺で見られるようだ。浮世絵「神奈川沖浪裏」に似ている彫刻があるのは,いすみ市の行元寺(ぎょうがんじ)で、内陸に少し入った万木城カントリークラブの近くにあるらしいが,筆者はまだそこは訪ねていないが,海に近い飯縄寺(いづなでら)は訪れた。行元寺は,美濃の斎藤道三により追放された土岐頼芸(とき よりあき)が晩年を過ごした寺であるという。
この辺りの国道沿いにある和食レストランには,「波の伊八」にちなんで,郷土料理の「波の伊八めし」を出してくれる。いすみ市産の米と,当地でとれる海山の幸を使った料理だ(予約必要)。
御宿駅近くの海岸の山の上には,「メキシコ記念塔」がある。その昔(1609年),フィリッピン諸島副長官ドン・ロドリコ提督を乗せたイスパニア(スペイン)船がマニラからメキシコへ帰還中暴風雨に会い,御宿近くの沖で難破した。実際,外房の海は,荒れるとかなり厳しい海らしい。村人が浜に流れ着いた人々を大勢(317名)助けて人肌で温めて助けた。女,子供もいたらしい。後に徳川家康公が,船を造らせて難破船の人々をメキシコに帰還させたという。このことが契機になって,日本,メキシコ,スペインとの交流が始まったという。メキシコ大統領がかつて日本を訪問した時にここを訪れている。真っ白なオベリスク型の「メキシコ記念塔」は,日本,メキシコ,スペイン三国の交通発祥を記念して建てられた碑であり,それは海を見渡せる山の上にすっくと建っている。
【写真】メキシコ記念塔を仰ぎ見る
【写真】スックと建つメキシコ記念塔
【写真】メキシコ大統領来訪記念碑
【写真】遭難者が漂着した浜?
【写真】史跡の説明
房総半島は昔海底が盛り上がって形成されたという。いすみ市のあちらこちらに露出している地層は粘板岩からできている。養老渓谷を散策すると,養老川の両岸に見事な地層を見ることができるが,それも粘板岩が積み重なっている。川底も粘板岩だ。これらはかってこの地が海の底にあったことを物語っている。この粘板岩の地層はそうとう厚そうだ。永い年をかけて海底で泥が堆積して粘板岩になったのであろう。
【写真】養老渓谷の地層1
【写真】養老渓谷の地層2
【写真】養老渓谷の地層3
【写真】養老渓谷の川底に見える地層
であるから房総半島は伊豆半島に比べると全体的に比較的のっぺりしている。南房総は比較的山がちで高い山があるが,最高峰は愛宕山(あたごやま)408.2mだ。伊豆半島は島が南方からプレートにのって日本列島にぶつかって形成された土地だ。伊豆半島と房総半島では,風景や植生が随分違っているように思う。伊豆半島には火山の火口跡(東伊豆の大室山や天城山など)もあるが,房総半島には無い。伊豆半島の方が房総半島より起伏に富んでいて(伊豆の最高峰は万三郎岳《ばんざぶろうだけ》1406m)風景も美しいと思うが,房総半島も素朴な独特の風情がある。房総の北部や中部の一部は,木々が密生している低い山の間に平地(田んぼが多い)が広がっているという独特の景観を呈している。
房総半島の中部から南房総にかけては,起伏に富んでいて緑を堪能できるので,私は中房総(こういう言葉はないらしいが)や南房総の山中をドライブするのが好きだ。温泉を見つけると立ち寄る。房総では,温泉の多くは海沿いにあるが,内陸にもところどころにある。養老渓谷から南へ下ったところに「栗又の滝」があるが,その近くに「ごりやくの湯」という山の中の温泉(日帰り湯)がある。そこは養老川沿いにあり,緑に囲まれていて,静かで俗化しておらず,私の好きな温泉の一つだ。
さて,神社の話に戻ろう。
いすみ市の上総一ノ宮には大きな立派な「上総一宮玉前神社」がある(写真)。「たまさき」と読む。JR外房線の「上総一ノ宮」駅の近く,国道128号線からわきに入ってすぐに,この神社はある。
写真:上総一宮玉前神社 入口1
写真:上総一宮玉前神社 入口2
写真:上総一宮玉前神社 正面1 菊の御紋がついている。
写真:上総一宮玉前神社 横 建築様式は特別な特徴があるという。
写真:上総一宮玉前神社 狛犬 風格のある表情を見せている。
写真:上総一宮玉前神社 さざれ石 日本の国家にも歌われている「さざれ石」は,東京の明治記念館にも置かれていたと思う。
上に「上総一宮玉前神社」を紹介したが,車で2,30分ほど国道を南下し,東浪見(ひがしとらみ)の近く,国道128号線から内陸に少し入ったところに,中原という地域がある。ここには中原堤という大きなため池がある。いすみ市にはこうした大きなため池があちこちにあり,その水は農業用水として利用されているようだ。この中原堤は,多くの水鳥が羽を休めている美しいところだ。その南側の近くに「玉崎神社」という小さな神社がある(写真)。この神社は少し分かりづらい場所にある。この神社は,岬町中原にあるので,上総一宮の大神社と間違えないように「中原玉崎神社」と呼ぶことにする。この神社の存在は,いすみ市岬町の太東港近くの民宿に投宿したときに,宿のおかみさんから伺った。「玉崎神社」という名の神社はこの地方に点在しているようだが,着目している神社は,岬町中原の「玉崎神社」である。
神社の前は田んぼや畑だったと思うが,神社は丘の上にある。この神社には数回訪れたことがあるが,いつ訪れてもひっそりとしていて,一度も他の参拝者の方々とお会いすることは無かった。
写真:中原玉崎神社の狛犬 とぼけた表情がおもしろい
玉崎神社にある掲示板にはってあった説明書きの写真を貼付しておく。
写真:中原玉崎神社 縁起
写真:中原玉崎神社 三道の起点
当神社は,神社の縁起(写真)に示されているように永い歴史をもつ。286年前にこの地に遷座されたという(ちなみにこの写真は2020年2月に撮影した)。江戸時代後期の国学者平田篤胤(あつたね)もここを訪れている。
この神社の御祭神は,
豊玉昆賣命(とよたまひめのみこと,神話で知られる山幸彦神の妻神)
鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと,神武天皇の父君)
の二神である。
また,この「説明書き」(写真)にあるように,この神社は三つの道が交差するところに位置している。すなわち,三道の起点であるのだ。写真の写りが悪いので,ここで繰り返す。
三道とは,すなわち,「天道の道」「皇道の道」「人の道」だ。
「天道の道」は,中原の玉崎神社-富士山-元伊勢-出雲大社-日御碕神社が一直線に並ぶ道だ。この神社は,春分の日,秋分の日には,日の光が真東から昇る,この道の起点になる。
「皇道の道」は,中原の玉崎神社-伊勢神宮-高野山-剣山-風頭山諏訪大社が一直線に並ぶ。この道は,皇室に御縁がある神社・仏閣へ一直線に進む皇道の道の出発点に当たる。
「人の道」は,中原の玉崎神社-天城山-御前崎-熊野大社本宮-室戸岬-足摺岬-霧島神宮(さざれ石発祥の地)が一直線に並ぶ。霧島神宮についての説明もついているが省略させて頂く。
このように,「中原玉崎神社」は,三道の起点であるので,いわば日本の精神の中心ともいえるかも知れない。不思議な神社だなあと思う。
2020年7月記