(竹中PTA会報,第86号(12)2004.12.20発行)

附属竹早中学校としてのキャリア教育  

学校長  下條 隆嗣

昨今、新聞紙上で、「キャリア教育」という言葉や、学校におけるその実践例などの紹介もまま見られるようになってきた。「キャリア教育」は、学校において、児童生徒一人一人にふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てるという教育である。ここで、「キャリア」とは、「個々人が生涯にわたって行う様々な立場や役割の連鎖およびその過程における自己と働くこととの関係づけや価値づけの累積」(文科省)というのが一般的であろう。キャリア教育が問題視されるようになってきた背景には、少子高齢社会の到来、産業・経済の構造的変化とそれに伴う雇用の多様化・流動化等があり、就職・進学などの進路選択をめぐる環境の大きな変化がある。文部科学省でも、キャリア教育の基本的な方向等について検討している。

キャリア教育は、端的には、生徒一人一人の勤労観、職業観を育てる教育といってもよい。それは、生徒が職業についての意識を高め、自分の個性を理解して伸ばし、個性を生かした将来の進路を選択する能力・態度を育て、目標とする職業にふさわしい基礎的・発展的教育をさずけて、その職業につけるように支援するものである。

私は、本校においても、キャリア教育が必要であると考えている。私は、常日頃、生徒が日常的なことだけに視線がゆきすぎる次元から、「いかに生きてゆくか」などを考える高い次元に向かわせるようにしたいと思っている。「いかに生きるか」は「自分が何に向いているか」に重なる問題である。 学校教育法にあるように、小・中学校では職業教育ではなく、普通教育を実施することになっている。しかし、キャリア教育が中学生に不必要ということではない。むしろ、それは高校からでは遅いともいえる。生徒は、高校で履修科目を決める際に、将来の進路を文化系か理科系か決めなければならない場合もある。一方、能力が多彩な生徒は、どちらにするか真剣に悩むであろう。このようなことへの対応を学校として支援する必要がある。したがって、中学生に対するキャリア教育としては、職業選択に直接結びつく活動ではなく、その前段階の個性発現の支援を中心にするのが適切であると思う。

人は自分に合う職業を見つけられれば幸せである。自分の個性をないがしろして、ある特定の職業に固執しすぎても幸福にはなれないであろう。中学生の頃は、いろいろな職業の存在に気づき、人間の諸活動の広さを認識し、人間に対する視野を広めるのが良いと思う。人はいろいろな生き様をみせる。例えば人のために生きたいという理想追求型、自然や社会の仕組みを追求する好奇心充足型、美的なものに惹かれる芸術家型、人の心の広さと深さをさぐる文芸家型,肉体の限界に挑むスポーツマン型、ビジネスを起こす現実型など様々である。生徒が人のいろいろな生き様を知り、自分の個性が何に適しているか考え、個性をのばし、将来に夢をもってもらいたい。

本校でも、従来行ってきた活動の中に、キャリア教育の一環として捉えられるものがある。年一回、各界で活躍している諸先輩お二人の話をきく機会を設けている。その道に入った動機は何か、自分の個性をどう把握していったか、どのような仕事をしているのかなどのお話を頂いていると思う。「すぐれた人と巡り会う」ことのすばらしさを生徒に味わってもらえると思う。また、本校のスクールカウンセラーの松尾直博先生による進路についての講演もある。教科の授業自体もキャリア教育に関する内容が多々あるし、校外学習活動もその一環として捉えられる。さらに、機会があれば、こうした活動を徐々にふやしてゆき、キャリア教育としてより総合的なものにしてゆきたい。例えば、伝記を読ませ、人の生き様についてじっくり考えさせる(本校図書館にキャリア教育関係の図書を充実)、「生き方」についての弁論大会の開催、研究所の公開への参加、博物館などの教育活動への参加などが考えられる。

キャリア教育を展開する上で注意も必要である。どのような職業も、それらは必要なものであり、また一生懸命探せば必ず自分に会う職業は見つかるものであるという心のゆとりを持たせたいものである。また生徒が自意識過剰になっても困るし、子供を鋳型にはめ込むようなことは論外である。

キャリア教育には、個性の発現の時期、その個人差の程度、個性と職業の対応、個性の変化など、発達に関連した難しい学術的課題も付随している。したがって、じっくり取り組むべきものであろう。本校におけるキャリア教育の推進に当たっては、広く、保護者、PTA、創竹会、地域の皆様のご理解やご支援・御協力を頂きながら、次第に実のあるものにしてゆきたいと考えている。